毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

学歴コンプレックス

ウチの父は社会学者だ。

しかし、一流大学の出身ではない。

父は団塊の世代だ。

バリバリに学歴が全ての世代。

だから出身大学に相当なコンプレックスを持っている。

 

ウチの実家は寺だった。

なので祖父は父の事を仏教系の大学に入れて跡取りにしたかった。

しかし父は学者になりたかった。

 

父の出身高校は、県下一の進学校

本人曰く「東大にも京大にも入れるくらい優秀だった」

 

しかし、学生運動により、東大の受験が実施されなかった年が、父の大学受験の年だった。

 

父曰く「東大に入るはずだった優秀なヤツらが京大を受けに来た。それで例年より倍率がかなり上がって、俺は京大に入れなかった」

 

まぁ、負け犬の遠吠えかもしれません。

 

しかしそれで、時代だとか学生運動だとかを恨んでしまったみたいです。

 

父は東大か京大に入る為に浪人したかったけど、祖父はそれを許しませんでした。

「東大か京大 or  仏教系大学

この2択しかなく、京大に落ちた以上は坊主になれ。浪人は許さん、と。

 

しかし父は学者の道を諦めなかった。

仏教系の大学にいながら、学者になる為の勉強を続け、当時、社会学の分野で東大に次ぐと言われていた大学の大学院に入ったのです。

 

仏教系の大学って、ぶっちゃけ、偏差値低いです。だからこれは、快挙だったわけです。

 

しかしここでも父のプライドが傷つく出来事が。

 

 

東大の当時の社会学の権威から、出身大学を理由に、大学院進学を断られたのです。

 

俺は優秀なのに、仏教系の大学に行かされたせいで東大に入れてもらえない。

そもそもは東大の入試が学生運動のせいで行われなくて、それで東大にも京大にも入れなかった。そこから頑張ったのに、やっぱり東大に入れてもらえない。

 

悔しかったでしょうねぇ。

 

まぁでも、その後なんとか頑張って、地元に帰り、二流私立大学の社会学者になれました。

 

帰ってきたら帰って来たで、地元で1番の国立大学に、もしかしたらコンプレックスがあったのかもしれませんが…

 

 

就職後も父の学歴コンプレックスはさらに続きます。

 

大学教授となってからは、同僚の先生方のご子息ご令嬢の進学先が気になって気になって仕方ない。

 

私たち兄弟は

 

「学歴で人生が決まる」「いい大学に入るんだ」「大学で人生が決まる!だから中学高校の6年間の勉強量で人生が決まるんだ!」と、朝から晩まで「勉強しろ」と父に言われ続け

 

同僚のご子息が受験に成功したら

「おい!○○先生の息子が東大に入ったんだ!お前らも頑張れ!」「○○先生の娘とお前は同学年だ!負けるな!」と、会ったこともない人々とライバル関係にさせられました。

 

 

自分が学歴で辛い思いをしたから

子どもに同じ轍を踏ませまいという親心だったわけですが…

 

その為に子どもたちの交友関係をぶっ壊し

学生生活や地域生活と隔離し

軟禁状態で洗脳、虐待、暴力…

 

ちょっとおかしかったですけどね。

 

父なりの、親の愛だったわけです。

 

 

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