毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

父の暴力は本人の「自信のなさの表れ」だったのかもしれない。

教育ジャーナリストのおおたとしまささん著、『21世紀の「男の子」の親たちへ』(祥伝社)という本の紹介記事を読みました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

2019年9月のFRAUの記事です。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66871

 

この第1回目は「反抗期の子どもとの付き合い方」「子どもに反抗期がない事は、ある意味恐ろしい」…そんな話し。

 

灘・開成など、名門男子校の先生方の子育てへのご意見が満載です。中でも印象に残っているのはこの記事の前半。「子どもの暴言を受けてひっぱたく親は、自信がないから」というご意見でした。

 

『子供が暴言を吐くときには、大人のリアクションを見ているわけです。「そんなこと言っちゃダメでしょ!」と言ったって、そんなことは子供だって最初からわかっています。それよりは、暴言を吐かれたときの手本を見せるべきではないかと私も思います。すなわち、暴言を吐かれても過剰に反応せず、涼しい顔をして自分を失わない大人の姿を見せることのほうが教育的な効果が大きいということです。

そんなことを言うと、「ひっぱたいてでも徹底的にしつけなきゃだめだ」と言うひともいそうではありますが……。

「うーん、それは結局同じ土俵に乗っちゃうってことでしょう」と葛西先生。

ひとは正しいことをやり抜く強さをもったひとに威厳を感じるものです。間違えたら素直に謝る、感謝の気持ちをもつ、思いやりを発揮するなどができるひとです。「子供になめられてはいけない」と、つい怒鳴ってしまったりするのは、大人自身に自信がないからにほかなりません。子供を恐れているからです。それでは、子供も不幸です。

東大寺学園の榊野数馬先生も「同じレベルに立つと喧嘩にしかならないじゃないですか、『言葉遣いくらいは気をつけよう』とか優しい感じで充分だと思いますので、余裕をもって接してもらえればと思うんですけどね」と笑います。

親の側にこそ「大人の器」が求められているのです。』

 

あぁ。有名校の先生方の金言に救われる思いです。

 

ウチの親はわたしの事をよく殴っていました。

わたしをコントロールしようと殴っていました。殴られていたのは、親がわたしと同じ土俵にいたからなのだと膝を打ち、少し心が軽くなったのです。

ウチの親は振り返ってみると、どう考えても発達障害です。立ち位置の違いをキープし続け大人としての器の違いを見せたり、背中で生き様を語ったり…そんなカッコいい事がそもそも出来る人ではなかった。

 

そうだ。自信がなかったんだ。

それでも親の威厳を保ちたくて、とにかくコントロールには暴力!という短絡的思考に走った。

 

よく言われました。

「お前は犬と一緒だ。犬は飼い主の言う事を聞かなかったら殴られて当然だ。犬は殴られたらわかる。でもお前は一度殴られてもすぐ歯向かう。犬以下だ。殴ってもわからないから、わかるまで殴り続けてやる。」

 

ひどい言われ様ですが、子ども相手に父も大人げない。

犬とケンカしてたわけですからね。

親が犬レベルに自分のランクを落として、犬並みの子どもと争っていたわけです。

 

当時の父の姿を思い返してみますと、確かに「自信のなさから逆ギレしているカッコ悪い大人」です。

しかしそうやって、親が上、子どもが下、という上下関係を維持しなければ父のプライドが許さなかった。

近年増えている「友達のような仲良し親子」という関係性は「親の威厳を保たず子にナメられてカッコ悪い姿」だと父は思っていたのです。

 

友達の様に仲良く…なんて、想像しただけで吐き気がするので、そんな関係性に憧れなんてありませんが、「友達の様な親子」にはそれなりの弊害もあるのだと、この記事の後半に紹介がありました。

 

家庭の数だけ問題はあるのですね。

 

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