毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

霊園の下見

公営霊園の抽選に、応募する予定です。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

今日は応募に備えて霊園の下見に行ってみました。お金持ちの方もお墓を持たれている霊園の様で、ものすごく大きくて立派なお墓、個性的なお墓、墓標というより偉人の石碑!という異次元のお墓まで、様々なお墓が広大な敷地内に所狭しと立ち並んでいました。

 

わたしの先祖は、これまでお墓を随分と転々としてきました。無事に当たればここが先祖にとって、いよいよ終の住処となる。どうぞ当たります様に…!

 

ウチの墓は、とても複雑です。

父は継がなかったのですが、祖父の代までウチは寺でした。祖父を養子にした、祖父の前の住職が戸籍上の曽祖父になりますが、血の繋がりはありません。曽祖父は一家惨殺事件の生き残りのため孤児で、曽祖父は他に行く宛がなくて寺に弟子入り、住職になった人です。その曽祖父の師匠にあたる、もちろん何の血の繋がりもない、しかも別のお寺の元御住職まで、なぜかウチのお墓に入っています。果てにはその方のご姉弟まで。

 

わたしの祖父は人を見る目がなくて、祖父が父に寺を継がせる事を諦め、代わりに次の住職に指名した赤の他人の坊主は、とんでもない人だった。自分の代になった途端、祖父が貯めていたお寺のお金を使って寺の大改修を行い、寺に立っていたその寺代々の住職の墓、そして我が家の納骨堂共々、潰して追い出したのです。

追い出された時に移れた墓地は、とても辺鄙な場所だった。今は車でお墓参りに行けていますが、老後自力で運転して行くにはかなり体力が必要なほど山の中で、遠い。

後任者に恩を仇で返されて山奥に墓を建てた祖父は「いつか便利な場所に移れる時が来たら、墓を引っ越しても良い」と遺言に残していたそうです。僧侶としてかなり高い地位まで登り詰めていた祖父が生前、後任者から寺の墓を追われるという「まさか」に遭い、購入したお墓。僧侶でありながら借宿の様な思いで自分の墓を建てていたなんて知りませんでした。さぞ悔しかった事でしょう。

だから今回の抽選は、祖父の為にも是非とも幸運を引き当てたい。我々家族は今回の市内のお墓の募集をずっと待ちわびていました。わたしの血縁の先祖はもとより、血の繋がりはなくとも先祖と呼ぶべき方々。みんなが安心して眠れる場所、そして、生きている我々がケアできる場所のお墓。本当にほんとうに、心から、当たります様に。

 

そういえば下見をしていた時、とても仲良しなご様子の素敵な老夫婦と何度も霊園内ですれ違いました。

「また会いましたね」

「この区画は良いけれどお高いですね」

「あちらの○番も良いですよね」

「いつかここで一緒に眠る事になるかもしれませんね」

「そうなると良いですね」

「当たります様に」

 

そんなお話しをさせて頂き、とても和やかな気持ちになれました。ご一緒出来て良かった。あちらのご夫妻もご希望のお墓に入れます様に。

 

 

ちなみに…今回の下見は、父は置いて行きました(笑)だってうるさいんですもの。お陰でスムーズに回れました。

 

 

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