普段実家の両親は、父の運転する車で、週1〜2回スーパーへ買い出しに行くそうです。今日は父とわたしでスーパーへ行きました。
こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
わたしが子どもの頃からほぼ変わらない、地場のスーパー。イ○ンに建て替わることもなく、店舗レイアウトも商品ラインナップもほぼ昔のままでした。
子どもの頃はお菓子にしか興味が無かったから、スーパーに着けば一目散にお菓子コーナーへ駆け出していました。そして、欲しいものが決まったら、父や母はどこにいるかと、小さな身体で探して回った。あの頃はスーパーが広くて、売り場の棚が高くて、たまに両親を見つけられずに心細くなる事もありました。
大人になって訪れる30年ぶりのそのスーパーは、もちろん、子どもの頃ほど広くは感じられない。それなのに今度は、以前より身体の小さくなった実父を、ふと目を離すと見失う。しかしいくつかの棚の列をのぞいて回ればすぐに父は見つかり、その度に、父の身体の小ささと所作の鈍さを目の当たりにし、時の流れを感じます。
スーパーを出て、買い物カゴを乗せたカートを駐車場に押し進めば、段差にカートの車輪が引っかかって止まります。
「お前なんて俺が本気で殴ったら死ぬんだぞ!お前を殺す事なんてわけないんだ!手加減してやってるお父様に感謝しろ!」そう凄んで幼いわたしを殴っていた父は、買い物カゴすら1人で押せなくなってきている。
これが、老いというものなのだ。
実家の中に居る時以上に、父の老化を強く感じました。