毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

過食嘔吐型の摂食障害

胃酸のニオイをかぐと昔を思い出します。

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

年末年始、、、食べきれず、古くなってしまった食べ物をそのまま食卓にあげ…。。。

夫が、お腹をこわしました。。、(涙)

 

そんなわけで、その日の晩、お手洗いにはほのかに胃酸のかおりが漂い、、、。

「あぁ、夫に辛い思いをさせてしまった」と、悲しくなったのでした。

胃酸のかおりが悲しくなるのはそれが、わたしがかつて辛い時期に長年毎日嗅ぎ続けたニオイだからです。

 

わたしは15歳から25歳まで、過食嘔吐型の摂食障害でした。

 

わたしの父は、デブでした。身長170センチに最盛期で100Kg前後体重がありました。

「俺のデブは遺伝子上仕方がないんだ!水を飲んでも太るんだ!だからお前らも将来太るんだ!」と子どもに呪いの様に言い続け、食事の際には毎日毎食「デブになるぞ」と迷惑な呪文をかけ続けていましたが、実際その後大人になったわたしを含めた姉弟3人は現在、全員ガリガリの痩せ型です。

 

しかし当時、思春期に親からの「デブ」「太るぞ」のエンドレスな呪いの言葉はキツかった。

お前らは俺の子どもだから「デブ」「太る」からの「醜い」だからお前らは勉強するしかない、いい大学に入るしかない…と続く、今にして思えば何とも了見の狭い、破綻したロジックでした。

 

果てには受験の為と、高校2年になる前に殴られて部活を辞めさせられて、そこから過食嘔吐の沼に10年はまる事になったのでした。

 

「わたしの青春は親の手によって取り上げられた」「高校の部活は、一生で今しかないのに」「わたしはこうして一生父に見張られて監視管理されて暴力で支配されるんだ」「わたしの夢は一生叶う事がなくなってしまった」「死にたい」「親を殺してわたしも死ぬ」「身体的体力的には敵わない。どう刺し違えるか」

 

そんな思考回路で、そのストレスを食欲と相殺して生きていたのでした。

 

なんて陰鬱な高校&大学生活。

 

今の高校生や大学生の方がよほど立派ですね。

コロナに思い出を取り上げられても、前を向いてなんとか日々を生きていますものね。

 

本当に当時のわたしこそ、知見の狭いガキでした。

 

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