毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

母の事

母の実家は長野の農家。

 

母は「このまま長野にいたら農家へ嫁に行って、そして、ずっと一生同じ毎日の繰り返しだわ!」と思ったらしい。

 

東京の女子大に進学し、貧しいながらも勉学に励み、それと同時進行で、今で言う婚活に励んだ。「4年間の大学生活の中で旦那様を見つけなきゃ、長野で農家の嫁になるしかない!」と、必死だったらしい。まぁ、おっとりした顔なので、側からはそうは見えなかっただろうけれど。

 

そして奇しくも、母の地元である長野で2人は出会った。大学のサークルの夏の合宿が野尻湖であったらしい。父も大学は東京だったので、その後2人は東京で一緒になり、父が地元福岡の大学に就職が決まった事で、家族で九州に越してきた。

 

当時の事をおじさん(母の兄)はこんなふうに話してくれた。

「あんな西の島に嫁に行くって言うんだもの。東京の人と一緒になるのかと思ってたのに。遠くて知らないところに行くって言うから、びっくりしたよ。」

九州が西の島てw

 

西の島自体は良いところではあるのだけれど、我が実家はオバケだらけだし、寺だから嫁の仕事は多いし、祖父母の夫婦仲は悪いし、父はADHDジャイアンみたいな性格で甘ったれで手がかかり、酒を飲んだらうるさいし、子どもは殴るし浮気はするし。ウチは最悪な嫁ぎ先でした。

 

「そうは言っても長野に帰るわけにはいかない」と、ずっと耐えてきたのがわたしの母です。