ウチの祖母の実家は病院でした。
しかし昔は子どもが多いですから。
病院経営といってもお金が有り余っているというわけではなかったのでしょう。
嫁に出されました。
そして、満州で結婚しました。
昔ですから。親の取り決めで、会った事がない者同士の結婚です。
見知らぬ満州の地で、初めて夫となる方と会った祖母。結婚して初めて、お相手が肺病をお持ちだったと知ります。
終戦後「肺病をお持ちだなんて伺っておりませんでした!」と離婚して帰国。
しかし祖母は稼ぐ手段を持ちませんでしたので、再び嫁に出される事になります。
そして、博多の寺に、わたしの祖父の嫁としてやって来たのです。
夫婦仲は最悪でした。
性格の不一致というやつです。
晩年何度も「お金があれば結婚なんてしなかったのに」と言っていました。
祖母は亡くなる前、長いこと施設に入っていましたけれど、祖父には会いたがりませんでした。
そろそろ寿命か?という時分
「おじいちゃんを呼ぼうか?」と聞いてみましたが「会いとうない!」と強い語調で断られました。
最期は、わたしが病室で看取りました。
病院のフロア中に響く様な、激しい苦しい、荒い荒い呼吸。その息遣いから死期を悟りました。その呼吸が止んだ時…看護師の方々がバタバタと入室され、慌ただしく死後の事務手続きが始まりました。
「あぁ、現代日本で人が死ぬというのは、こういう事なんだなぁ」と、ぼんやりと眺めておりました。
夫婦仲は悪かったのですが、祖母の葬式では、祖父がお経を上げました。込み上げる物を堪えながらの、とてもカッコいい読経でした。
あの時の祖父のお経は素晴らしかった。
そこに愛があったかはわかりませんが
寺を切り盛りした祖母へのリスペクトを感じました。