毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

戦争から帰った人が必ずしも喜ばれるとは限らない悲劇

ウチの祖父は寺の住職になる前、戦争に行っていました。

 

フィリピンとか…アジアの島に派遣されていた時に…祖父は激しい腹痛に襲われ、部隊のみんなに置いてけぼりにされたそうです。

 

すると、部隊の皆様は行った先で全滅。

 

腹痛で遅れをとった祖父だけが生き残りました。

 

祖父の実家には「○○部隊×××で全滅。息子さんは戦死しました」的な知らせが届いていたそうです。

 

なので終戦後、命辛々帰還した祖父は、実家に着くと「幽霊!?」みたいに、かなり驚かれたそうです。

 

戦死の知らせが届いていたのに本人が登場したのですから、さぞ驚かれた事でしょう。

 

…でも、驚かれはしたものの…喜ばれはしなかったのかもしれません。なんせ祖父は、口減らしの為に寺に出されたのですから。

 

我々が目にする戦争を題材にした映画もドラマも小説も、生き残った人は家族の元に帰ったら、仲間とともに復興を頑張ったり…喜びの再会が描かれているものが殆どです。

 

祖父は生きて帰っても、家族に喜ばれなかったんだろうなぁ。そんな話しは聞いた事がありません。

 

大平洋戦争を生き延びた祖父は、日本に平和が訪れてからも、晩年まで戦争の夢を見ていました。

 

「自分だけ生き延びてしまってごめんなさい」という自責の念にも苛まれていた様です。

 

自責の念と言えば…住職になった後も様々なトラブルに見舞われていましたから、悩みの尽きない人生でした。

 

祖母との夫婦仲も、父との親子仲も最悪でしたからね。苦労の多い人生でした。