毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

ぜんざいと折檻

祖父は外ヅラと家の中が全く違う人でした。

 

例えばまだ2人が若夫婦だった頃。

お正月を過ぎて、今で言う冬のイベント的なものに祖父母が夫婦でお呼ばれした時。

鏡開きのぜんざいを「もう一杯いかがですか?」と勧められ、祖父が断った後に祖母が「じゃあわたしは頂きます」と言いましたら。

 

その場では祖父はニコニコして「あんた良かったねぇ」と眺めていたのに

 

家に帰ったら祖母は祖父から踏みつけられ足蹴にされ殴られ「外で食べ物をお代わりするなんてはしたない」と言われたそうです。

 

万事がその様な感じでした。

孫のわたしの記憶の中でも。

 

外ではニコニコ

 

家の中では苦虫を噛み潰したような表情。

 

 

晩年印象に残っているのは、祖母に痴呆が出始め施設に入る事になった時の事です。

 

夜中泣きわめく事が増えてきた祖母に、祖父は耐えられなくて。

 

そもそもが愛がないので、介護をするだとか、祖母の長年の頑張りを労わるだとか、そんな発想は祖父には1ミリもありませんでしたから。

 

施設に入れる事を決めるのは早かった。

 

 

祖父はずっと家の中で祖母の事を迷惑そうに眺めていたのに。

 

施設の人がウチに祖母のお迎えに来てくださった時、祖父はニコニコしながら子どもをあやす様に祖母に接し、優しく手を引き、送迎車へと案内した。「心配だ。元気で。ちょくちょく帰ってきたらいい。寂しい」そんな言葉をかけていましたが、それがペラッペラで何の重みもない言葉だと、家族はみんなわかっていました。

 

実際その後、祖父は施設にお見舞いに行く事はありませんでしたし。

 

祖母は義憤を内に秘めた表情で車に乗って行きました。

 

施設の方は「お爺様はこんなに良い方なのにお婆さんったら!」とでも言いたげな表情でした。

 

 

サイコパスって、外からはわからないもんです。

 

 

わたしの父はこの祖父以上に面倒くさい男ですが、外ヅラの良さに関して2人はとても良く似ています。