ウチは寺だったのですが
禅寺は茶道もやっているところがありまして。
ウチはそれでした。
かつてはお金まわりが良く、茶道具も良品が入ってくる事がありましたが…玉石混淆してました。騙しや詐欺も多い世界です。
お茶の先生は祖母がしておりましたので、茶道具については祖母が色んな騙しにあっていた。
しかしそれよりも今日は祖父の話しを書きましょう。今朝、墓まいりの際に父から聞いた話しです。
テレ東の「何でも鑑定団」に時折出てくるかんじ…と言えば分かりやすいでしょう。
千利休の師匠にあたる人の書簡がウチにありました。それを、京都の呉服商に奪われたそうです。
「京都に表装をしてくれる職人を知っています。お預かりしましょう」と。
信頼して託すも……
その後、、音沙汰なし。
「あの書簡は?」とウチから尋ねても
「さぁ?なんのお話しですか?」と呉服商。
聞いてみても知らぬ存ぜぬで通される。
恐らくその書簡は転売されたのでしょう。
そして普通の感覚では理解出来ないと思うのですが、その呉服屋さんは、着物の商売では以後変わらずウチに出入りし続けていたそうです。
証文を取っていないのでこちらの負けですが
証文を取るというのは雅でない。品がない。こちらからは言い出さない。
だから、口約束で、大切なものを託す。
奪われるのを覚悟で。
そして大方「なんの話しですか?」と、とぼけられる。
証文なぞ取らないのが昔の小金持ちの慣例だった様です。だから、ウチに限らず昔はその様な騙しの被害が多かったと聞きます。
祖父は
「素晴らしい絵ですね。もっと良い表装が出来る人を知っていますよ」と、
同じ手口で他にも何点か別の人たちに騙されています。
託さなきゃいいという声が聞こえてきそうですが…
託さなければ
「疑われた!酷い!」などと良からぬ噂を流される。
由緒ありすぎる国宝もののお寺にはそんな輩は恐らく出入りしないでしょうが…
そこそこの寺というのはそういう輩に狙われていたのです。
奪われた品の中には、曽祖父の育ての親の絵もありました。思い出の品でも容赦なしです。
聖職者として人々のお役に立てる様に僧侶として研鑽を積みつつ、素直にそれを生かし、良い循環だけが起こる人生ならば良かった。
しかし祖父の場合、関わる人々には良からぬ輩も多く、それを拒めない。
たかられ、奪われ、傷つき、人知れず涙する。
それが祖父の人生でした。
晩年まで人間関係に苦しみ続けていました。
祖父の性格が歪み
その祖父に育てられた父の性格が歪み
わたしが虐待を受けた。
家庭内でも良くない循環でした。
わたしの代で終わらせます。