毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

映画「わたしの名前は…」

おそらくは「おこもり時間にどうぞ」的な企画で無料配信されていた、アニエス・ベー監督作の映画を見ました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

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UPLINK Cloudで、5月17日23:59まで無料オンライン配信されている映画、「わたしの名前は…」。秀作でした。

 

11歳の少女が実父から性的虐待を受けていて家出するお話しです。虐待シーン自体はワンカットしかありませんが、重たいテーマ・バックグラウンドを秘めた子どもが主人公。しかし、少女の逃避行を手伝ってあげたトラック野郎が「いい奴」なので、それに観客も主人公も救われる。

 

わたしがこの映画の感想をここに書き留めたくなった理由は、虐待をしていた父親の葛藤が描かれていたのが印象的だったからです。

 

母親はウェイトレスとして朝から晩まで働いている。貧困家庭。夫婦仲は微妙。父親は無職。父は職人だけれどその腕を活かせる場所がなく、悶々としていた。3人の子どもとずっと家に篭っていて、精神的に詰んでしまって、長女に手を出してしまう。その事に奥さんは気づいていない。長女も誰にも相談出来ない。そして父親も誰にもその事実を話していない。

 

しかし救い様ない中にも救いだったのは、そのダメ父は子どもに手を出した事実を恥じていた事。「俺はなんて事を…」と自分を責めているのです。手を出したのはおそらく複数回にわたっていて常習化しているのですが、背徳感と自責の念があるのです。

 

 

わたし自身は父から受けたていたのはモラハラとちょっとした暴力程度で、性的虐待は受けていません。しかし、この映画を見るまで、性的虐待をしでかす様な親も暴力を振るう親も、全部同じ括りで、十把一絡げに「ダメ人間!」と見てしまっていました。

 

もちろんどんな虐待も許されるものではありません。中でも性的虐待はとりわけ罪が重いと思う。だから「最低!」「最悪!」「そんな奴死ねばいいのに」と断罪する所まででわたしの思考は止まっていました。

虐待を後悔して、もうやめたい!と思っている親の気持ちなんて、想像した事がなかった。今回この映画で「己の愚行に苦悶するダメ親父」の姿を見て、初めてその可能性を知ったのです。

 

どんな親でも子どもにとっては、親というのは地球上にたった1人の特別な存在です。

 

ダメ親にも更生のチャンスを被害者の子ども自身が与えるのなら、その親も自らを改めたいという意思があるのなら、やり直せる場合もあるのかもしれない。それは人それぞれ、家庭それぞれの問題なのだと、気づくきっかけになりました。

 

虐待ダメ!絶対!許せない!そんな奴変われるはずがない!殺せばいい!死ねばいい!

以前のわたしは、弱者を傷つける様なダメ人間に対して、そんなふうにバッサリと切り捨てる思考回路でした。しかし黒か白かだけでは片付けられないのが親子関係です。

 

「加害者も加害者なりに何かに傷ついている」

「加害者自身が立ち直り、救われれば、問題が解決する場合もあるかもしれない」という可能性に気づけただけで、今回の視聴は収穫でした。

 

そして

 

テーマが重いので素直に「素敵!」と言えなかったのですが、アニエス・ベーの描く世界はやはり、美しかったです。

 

 

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