小学生に上がった頃から全てが狂って行った様な気がします。
こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
わたしは3人姉弟の長女で、下には妹と弟がいます。それぞれ3歳ずつ離れています。
あまり記憶にありませんが幼い頃は、長女なので第一子として両親から可愛がられ、初孫として祖父母から可愛がられたはずです。
最初に人生に違和感を覚えたのは小学生になった頃の事。今まで「可愛い」と言ってくれていた父から突然「ブス」「デブ」「勉強しろ」と言われ「バカとは付き合うな」と言われる様になったのです。父にとっての変化は
・跡取りとなる長男(わたしの6つ下の弟)が生まれた
・わたしが小学校に入った事で、より「社会的ヒエラルキー」や「世間の目」を気にする様になった
・職場である大学の中で、助教授→教授と自分の地位が上がっていく右肩上がりの時期で、気が大きくなっていて、エラそうに振る舞いたいお年頃だった
そんなところでしょうか。
小学生に上がった頃から、父の暴言や暴力が始まった記憶があります。それは徐々に徐々にエスカレートしていき、大学受験が第一次ピーク、20〜25歳が第二次ピークだったと記憶しています。
その間、体調の良い日なんて1日もありませんでした。常に暴言や暴力を受け続けると、いかに世間では相対的に「子どもは生命力が強い」といわれていても、子どもであっても弱ってしまうものです。
環境が人を作る。
環境が免疫を作る。
環境が身体を整えも蝕みもする。
そう思います。
あの環境から離脱できた今、振り返ってそう思うのです。渦中にいる時は気づかなかったけれど。
それほどまでに子どもの体力を奪っていた、負のエネルギーの塊だった諸悪の根源の父も、あれはあれで当時本人も辛かったんでしょうね。
「子どもを一流大学に入れる」という使命感と「子どもが思い通りにならない苛立ち」が父をそうさせていたのでしょう。
わたしに「何でお父さんの言う事を聞いて、勉強しなかったの?言われた通りに勉強して結果を出してお父さんを手のひらで転がして、争わないで済む道を選ばなかったの?」という人がいます。
「そんな体力がなかったからです。」
勉強する元気も活字を読む元気もなかった。
実家では、生きることが、ただ、生きている事が、生命を維持することが、それだけで苦行であり辛かった。
体調が常に悪く、頭も身体も思う通りに動かなかったのです。
万年「sick bed」状態でした。
マジで、むっちゃしんどかったわ。
毎日死にたかったもん。
結局生き延びて父と離れる事が出来、40歳にして徐々に人生を取り戻しています。
長かった。