毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

お前は自分の実力がわかっただろう?

自分で自分の感情の整理もつけられず暴言を吐き、後になって言い訳する様な人間が嫌いです。せめてわたし自身は、そうはなりたくないなと思います。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

昨日は実家で両親や妹と会ってきました。

昔話をしていて父が1番のって来るのは大学受験に関する事。相変わらず「学歴」の話しが大好きです。

妹や弟の出身大学ぐらいはわたしも覚えているのですが、妹弟が受験の際にどこを受け、どこに落ちたかなんて全く記憶に残っていませんでした。

 

妹や弟はわたしと違って優秀だったので、医学部だとか京大だとかを受けていたらしいです。結局医学部にも京大にも受かっていなかったので、受けていた事自体、姉のわたしは忘れてしまっていました。

 

我々姉弟は、学歴コンプレックスの強い父に厳しく「勉強しろ勉強しろ学歴こそか全て」と洗脳・監視されながら学生時代を過ごしたので、大学受験というのは各々、人生の前半におけるハイライトというか、かなりのビッグイベントだったのです。3人とも失敗しましたが。

 

中でも弟は優秀でした。父は未だに弟の成績を覚えていて、昨日も「京大には、物理で大問を落としてなかったら受かっていたんだ」と反芻していました。そんなに悔しかったのか。細かい事まで感心するほど覚えている。弟にとってはむしろ忘れてほしい事案でしょうが。

 

15年経っても忘れられないほど悔しかったくせに、京大に落ちた弟に当時父がかけた言葉は酷いもので

「お前はこれで、自分の実力がわかっただろう?」だったそうです。わたしは忘れていましたが、母と妹が覚えていて、「傷心の息子に対してかけるべき言葉じゃなかった。酷かった」という話しになりました。

すると父は「違う、そんなお前たちが非難する様な言い方はしていない。俺はあいつの努力を認めていたから、『浪人すれば来年こそは受かるぞ』って励ましたんだ!俺のあの言葉であいつは自分を鼓舞して頑張れたんだ!俺のお陰なんだ!」と、支離滅裂な弁明をしていました。

 

カッコ悪いなぁ。

弟本人にはそんな事言わないでねパパ。

傷つくからさ。あいつプライド高いからさ。パパが自分で切り付けた古傷にわざわざ塩なんて擦り込んじゃダメだよ。。。

いつか本人の前で再度失言をかまさない事を祈るばかりです。

 

父は本当に、感情のコントロールが出来ない人でした。

弟の京大受験に関しては

自分が落ちた京大に息子が受かるかもしれない!という期待が裏切られてショックだった事。吝嗇家なので、受験にまつわる交通費や宿泊費を勿体なかった!無駄だった!と考え、思ったままに言葉や態度に出してしまった事。

同僚でお子さんを東大や京大に入れた人々が羨ましくて羨ましくて「何でお前たちは誰も通らなかったんだ!」と深く悲しんでいた事。

父の気持ちもわかるんですよね。

 

でもね。自分のショックや悲しみの全てを子どもにぶつけて、言葉や暴力で深く傷つけたのは、私たちが大人になった今振り返ってみても、パパが大人げなかったなって思うよ。15〜20年経っても自分の立場だけを正当化しようとして駄々をこねてばかりなところもね。

 

「こんな大人は嫌われる。」

それを見せてくれる人です。

 

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