毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

両家顔合わせってやつ

後輩が結婚するんです。

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

後輩が、お相手の親御さんに振り回されています。直近では、いわば「エステの予約だから顔合わせキャンセルね」みたいなかんじ。

それで後輩はちょっと頭にきてたみたいですが…そういえばウチの親も、かつて似た様な事をしてくれていました。

 

わたしが結婚した時。

「5月○日は14:00にあちらの親御さんが我が家に来てくれるんだからね!」と伝えていたのにそれを忘れて、某高級ホテルにて開催の、勤務先のパーティーとダブルブッキング。

顔合わせの予定の方が先に決まっていたのに「前に言われすぎてて覚えていられない、そんな事聞いた覚えがない」

パーティーの予約をキャンセル出来ないのかと頼むと

「勤務先に『やっぱり行きません』なんて言えるわけがないだろう」と逆ギレ。

「ホテルのお料理食べたいだけなら奢ったるわ後日!!」とわたしがいうと「ホテルの料理なんて味はわかってる!散々食べた!本当は大学の宴会なんて行きたくないんだ!」と駄々っ子状態に。挙げ句の果てには「お前たちはもう籍を入れて結婚してるんだから、向こうの親御さんに今更会う必要なんてないだろう!」と。

 

結局…

わたしの夫の親御さんに、「父はその日の午後仕事が入ってしまったので、時間を変更して頂けませんか」とお願いしました。義両親は遠方からのお越しだった為、諸々の予定を全て変更し、我が家でなんとか、顔合わせを行ったのでした。義両親は「お忙しい中お時間を作ってくださりありがとうございます」と言ってくれたけど…

 

「すみません。本当はウチの父、仕事じゃないんです。勤務先のパーティーで、ホテルのお料理食べたいだけなんです」なんて言えず。

 

わたしだけ顔はニコニコ、内心無茶苦茶激おこだったのでした。

 

父は、全く悪気はありません。

何でも自分の思い通りにならなかった事はしつこく覚えていて、何十年たってもネチネチと文句を言ってきますが、自分の思い通りなった事に関しては、全て忘れます。

 

わたしの結婚に際しての顔合わせで、周りに迷惑をかけた事なんて、記憶にないんですよね。

 

こういうネタは枚挙にいとまがありません。

発達障害ADHDだから仕方ない。

そう、仕方ない。

許すとか許さないとかの話じゃないんです。

仕方ない。

 

 

後輩にはなむけの言葉をおくるなら

おめでとう。

全部、仕方がない事なんだよ。

そう。仕方がないんだ。

 

 

 

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日帰り温泉に来ています。

もう少し、まともに親と会話をすれば良かったのかもしれないと思っています。

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

今、日帰り温泉施設にいます。実家から40分程度で着く所です。徒歩と電車の時間、全て合わせても40分。近いものですね。

 

実家にいた頃は「ちょっと温泉行ってくる」とは言えなくて、来たことがありませんでした。わたしが子供の頃から親は「勉強しろ」としか言わず、わたしが学校以外の場所に出かける事をとにかく蔑みました。大学を卒業しても「税理士資格を取れ」「会計士試験を受けろ」と、彼らが知る収入の安定しそうな職業を常に口にして、資格試験の勉強をしろと言い続けていました。それは、わたしが35歳になるまで続きましたので、親もまぁ、ずいぶんと子離れの出来ない融通の効かない人々だったものだと思います。

 

「勉強しろ」としか言えない彼らは、娘の勉強以外の行動がとにかく気に入らない。海に行く・温泉に行く・ライブに行く・お買い物に行く…何もかもが気に入らない。お金のかかる事、勉強の妨げになる事から子どもを遠ざけて導く事が親の務めだと信じていた。

 

「お父さん、お母さん、バカなの?わたしが会計士や税理士になって幸せだと思ってるの?」

「人生には息抜きだって必要なんだよ。あんたらみたいな融通のきかない親と上手くやって行くには」

「娘もいい大人なのに、ちょっと温泉に行くくらい、その程度の事に口出しするなんて、あなた方はアホなんですか?」

 

そういった事を伝える努力を、わたしの方でも怠っていたのです。

 

顔を合わせれば怒鳴り合い殴り合いになる親子関係でしたけれど、上手く伝える事だって、もしかしたら出来たのかもしれないと、今なら少しだけ、思うのです。

 

いや、やっぱり無理かな。

完全にあの親、発達障害ADHD丸出しだもんな。

 

それでも今わたしが「あの頃伝えておけば」と思うということは、やはり「分かり合いたかった」という後悔があるという事なんですよね。

 

いや、やっぱ無理かな。

あんな毒親とわかり合うなんて気持ち悪くて鳥肌立つわ。

 

…って、これも親の影響受けまくりの言動だな。

父は「お前みたいなブスを見ると吐き気がする」「お前みたいなバカが娘だと思うと鳥肌が立つ。俺の娘だなんて外で言うなよ」と、失礼極まりない事を毎日口にしていました。

 

あんな親と、同じ土俵には立たない、立ちたくないと、思っているんですけどね。

 

そう、違う土俵から、自分の気持ちを伝えたいです。彼らが死ぬ前に。

 

 

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親子間の愛とは何か

父親への不平不満だとか、綴るのに本当は飽きているんです。こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

ただ毒親ブログがやりたかった…というわけでもありません。ウチのパパこんなにひどくて変な人だったの!と、皆んなに聞いてもらいたいわけでもありません。

ただ、わたしがら書く事で納得したくて書いています。

 

日々の罵倒や暴力、モラハラの実態の記録というわけでもない。その裏にある感情に気づきたい。感情に気づきたいとはいっても、父は結局のところ、天邪鬼で単細胞で意味不明なだけなので、書いたところでどうなるものでもありません。そして、結局は、彼なりの愛だったのだと、そこに帰着する事もわかっています。

 

父は、子どもへの執着がすごかった。それは、彼にしてみれば、愛だった。

わたしからすれば、愛情がひねくれ過ぎているのを、普通にして欲しかった。

普通っていうのも何なんだって話ですが。

しかし我々世代の親は「世間体」というのが大好きで、普通にしろ、普通でいろ、皆んなと同じ様にやれ…と、よく言われたものです。そのくせ「世間体」があるから、他人より我が子に優秀になって欲しいだとか…。

まぁ、人間らしいですけどね。the・矛盾の塊。

 

さて。そんなわけで、父への不平不満を綴るのに、飽きてきているんです。

でもね、下書きに、まだまだ山ほど、父のヘンテコりんメモが残ってる(笑)

 

これを捌ききるまでやめられないな…と思うのも、もしかしたらわたしの愛なのかもしれません。

 

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のどが痛い時思い出す事

わたし、のどが弱いんです。

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

昨日は、県外の方のアテンドで、観光がてら10時間以上喋り続けておりました。そうすると、それだけで、もう、夜にはのどが痛くなっちゃったんですね。

 

のどが弱い人間というのは、

自分の心のうちを晒すのが苦手な人間だとか、

自己肯定感が低く自己開示が苦手な人間だとかが多い傾向にあると、カウンセラーから聞いた事があります。

 

確かに、自信満々自己アピール超得意なキャラで、のどが弱くてすぐ枯らす人って、わたしは会った事がありません。

 

さて。わたしは昨日、1日喋ってのどが枯れ気味になってしまったけれど、実はこれでも、枯れ具合としてはだいぶマシになった方ではあります。

 

暴力とモラハラがひどい実父と暮らしていた頃は、もっともっと、のどが弱かったです。

 

これでも、父と離れて、のどが弱くなくなってきました。

 

親子であっても、離れた方が良い関係もあるなと、心底思います。わたしを大切に扱わない父を、もっと早くに見限れば良かったのです。

身体が健康を取り戻す過程で、より強く思う様になりました。

 

そうは言っても一周回って、わたしが40歳、父が70歳を過ぎた今、介護の話しの影がチラついては来ているのですが。

 

10代後半〜30代半ばというのは、人生のゴールデンタイムだと思います。その時期を、親ごとき他人に振り回されてはいけない。

 

親と暮らす事で心身ともに苦しんでいる若い人には、「なるべく早く離れられるといいね」と、伝えたいです。

 

 

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相続

今日は新年会でした。

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

今日の新年会のメンバーは、ほとんどが40代。親の介護や相続の話しが具体的になってくるお年頃です。

 

「ウチはいろいろあって…」って皆んな言うけど「ほんとにどこも、いろいろあるよね!」と、笑い飛ばして飲みました。

 

結局は、司法書士と話すしかないしね、と。

 

親兄弟、土地、ご近所。

それぞれの愛憎があり…

面白いです。

 

わたしも、ウチの事を、面白いなと誰かに笑ってもらえたら幸いです。

 

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過食嘔吐型の摂食障害

胃酸のニオイをかぐと昔を思い出します。

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

年末年始、、、食べきれず、古くなってしまった食べ物をそのまま食卓にあげ…。。。

夫が、お腹をこわしました。。、(涙)

 

そんなわけで、その日の晩、お手洗いにはほのかに胃酸のかおりが漂い、、、。

「あぁ、夫に辛い思いをさせてしまった」と、悲しくなったのでした。

胃酸のかおりが悲しくなるのはそれが、わたしがかつて辛い時期に長年毎日嗅ぎ続けたニオイだからです。

 

わたしは15歳から25歳まで、過食嘔吐型の摂食障害でした。

 

わたしの父は、デブでした。身長170センチに最盛期で100Kg前後体重がありました。

「俺のデブは遺伝子上仕方がないんだ!水を飲んでも太るんだ!だからお前らも将来太るんだ!」と子どもに呪いの様に言い続け、食事の際には毎日毎食「デブになるぞ」と迷惑な呪文をかけ続けていましたが、実際その後大人になったわたしを含めた姉弟3人は現在、全員ガリガリの痩せ型です。

 

しかし当時、思春期に親からの「デブ」「太るぞ」のエンドレスな呪いの言葉はキツかった。

お前らは俺の子どもだから「デブ」「太る」からの「醜い」だからお前らは勉強するしかない、いい大学に入るしかない…と続く、今にして思えば何とも了見の狭い、破綻したロジックでした。

 

果てには受験の為と、高校2年になる前に殴られて部活を辞めさせられて、そこから過食嘔吐の沼に10年はまる事になったのでした。

 

「わたしの青春は親の手によって取り上げられた」「高校の部活は、一生で今しかないのに」「わたしはこうして一生父に見張られて監視管理されて暴力で支配されるんだ」「わたしの夢は一生叶う事がなくなってしまった」「死にたい」「親を殺してわたしも死ぬ」「身体的体力的には敵わない。どう刺し違えるか」

 

そんな思考回路で、そのストレスを食欲と相殺して生きていたのでした。

 

なんて陰鬱な高校&大学生活。

 

今の高校生や大学生の方がよほど立派ですね。

コロナに思い出を取り上げられても、前を向いてなんとか日々を生きていますものね。

 

本当に当時のわたしこそ、知見の狭いガキでした。

 

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オカッパ白ぱんつ物語

今日は美容室に行ってきました。こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

最近のわたしはショートボブなので、月イチくらいのペースで美容室へ行きます。

 

昔は、ロングヘアに憧れていました。

実際に腰くらいまで伸ばした事もあります。

しかし、40歳を過ぎてからは、髪質も変わり、ショートボブが扱いやすいと感じています。

 

子どもの頃は、父からオカッパ頭を強要されていました。マッシュルームみたいなキノコカットで、自宅で両親にカットされていた記憶があります。

 

「髪を伸ばしてシャレ気づいて色気づいたガキは、人さらいにあうんだ」と、謎の偏見から、小学校低学年まではキノコカット一択でした。

 

さらには意味のわからない事には

「ピンク色やレースのついたもの、大人びた色のパンツをはいていると人さらいにあう。変態は目ざといんだ。子どもの下着の色は白しか許さん」と、色付きの下着は鬼の形相でゴミ箱に投げ捨てられました。

 

キノコカットに白パンツ。

 

今思えば、それはそれで、そういうロリコン趣味の方はいらしたでしょうけどね。

何ならむしろ、それが好き!な方も、いらしたでしょうけどね。

 

わたしが女の子らしい可愛い色の服を着る事も父は好みませんでした。「紺がいい。知性が高く見える」と言われていた。派手にして目立つと人さらいに…以下略。

 

今にして思えばそれらは全て不安神経症な父の愛情ではあったのですが。

でも

白以外の色付きパンツをはいた子どもは人さらいにあう理論は、気持ち悪いです。

 

 

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