毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

ヨメに美味しそうなのをあげる

ウチの父はジャイアンだったので

 

「お前の肉の方がでかいな!エライ俺によこせ!この小さいやつにするんだお前は」

「そっちの脂身の方が美味そうだな!変えろ!」

 

と、子どもの料理のほうが自分のものより美味しそうに見えたら容赦なく交換でした。

いやー、どっちが子どもかわかりません。

 

母は、父親の言うことを何でも聞いてあげて、台所でリクエストに応え続けていました。

あ、今もです。

 

「腹減った!メシはまだか!」

「俺の言った通りに作れ!TVでやってたやつだ!」

「何でまだ出来てないんだ!トロいな。早く作れ!」

「何だ、TVの通りじゃないぞ!思ってたのと違うな!」

 

文句は絶えず、お礼の1つもナシ(笑)

 

まぁ、失敗しても母はイヤミを言われるだけで殴られはしませんでした。父が殴っていたのはわたしだけ。

 

ちなみに父は食事に物凄い執着心を持っていたのと買い物が好きだったのとで、食材の買い出しは父の担当でした。母は車を運転出来ませんし。

 

父のリクエスト通りに料理を作る母に、父からは「美味い」とか「ありがとう」とかの言葉はありませんので

 

子どもたちが代わりに父のぶんまで

「ママ!美味しい!」と言うわけですが

 

そこにも父は割って入る。

「買って来たのは俺だ!」

「これを作れと言ったのは俺だ!」

「俺の金だ!俺に感謝しろ!」

 

彼はジャイアンを演じるために生まれて来たのでしょうか?もはやコントですが、毎日聞くのは食傷でした。

 

承認欲求の表れでしょうが、そんなものは子どもに求めるものじゃありません。

ちょっと哀れでもあります。

 

 

ところで、そんな父と違って、ウチの主人はとても優しい人です。

シシャモを何匹か焼いても

焼き牡蠣を何個か焼いても

「これが1番の美味しそうだから、ヨメの」と、美味しそうな物をわたしに食べさせようとしてくれます。

 

お母さんかっ!

と、いつも思うのですが、とてもうれしいです。

 

 

何故「お母さんかっ」と思うか、ですが…

 

わたしがまだ小さい頃、

食べ物がその日たまたま家に無くて

その少ない食べ物を、母が全部わたしにくれた事があったんです。

「ママのぶんは?」

「ママはいいのよ」

「半分こしようよ」

「ママは大人だから大丈夫。あなたが食べなさい」

「なんでー。ママも食べたらいいのにー」

「半分じゃお腹いっぱいにならないでしょ?だからいいのよ」

「でもママがー」

「いいの。食べなさい。それが親ってもんよ」

 

父はあたたかい言葉を発せない病にでもかかっているかの様でしたが、母のこの時の言葉は、あたたかかった。

 

母は、わたしが父に殴られていても止めてはくれませんでしたが、別のところで愛があった。

 

子どもに食べ物を与えようとする母の愛を、わたしは知っているのです。

 

子の満腹が親の幸せに通じる

ひいては

子の幸せが親の幸せ

 

父はその思考を少々欠いてはいますが

母からはそれを感じます。

 

 

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