毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

発達障害の人は1つの事しか出来ない人が多いらしい。

ウチの父は人の食べ物が気になって横取りするし

テレビを見ていても別のチャンネルが気になってすぐザッピングするし

 

そして「今見てたのに!今いいところだったのに」と家族に責められるとキレて

「テレビなんてくだらんモノの為にわめくな!」「俺のTVだ!エライ俺が見たい物を見るんだ!」「逆らうのか!?生意気な目つきをやめろ!」「殴るぞ!」→そして本当に手が出るw

 

とにかく他人や別の選択肢が気になって気になって仕方ないない人です。

 

しかし一方で、かなり若いうちに大学教授のポジションを手に入れた。必要な時には1点集中の突破力がある人だった様です。

 

発達障害の人は、どこか必ず天才的な才能がある」と聞いた事がありますが、父の場合のそれは、学術的な事だったのかもしれません。

 

さて。

父は自分が仕事に関しては「1点集中」タイプだったものですから、子どもには「勉強しろ。勉強に集中しろ。勉強だけをしろ」という教育方針でした。

 

部活も友達付き合いも旅行も夜遊びもアルバイトも禁止。結果、兄弟全員コミュ障に育ち、社会に出てから痛い目を見ましたw

 

祖父は住職。祖母は茶道の先生。父は社会学者。あまり、コミュニケーションや人付き合いに長けていなくても成立する職業だったので、ウチの家族はとにかく浮世離れした人々ばかりです。家の中にお手本となる社会人がいないものですから、いざ社会に出てみると何が正解かわからず試行錯誤の日々でした。

 

それと、人付き合い以上に困ったのが

己の「同時進行能力の低さ」

 

親からは「勉強しろ。勉強だけをしろ」と常時呪いの様に責め立てられ、勉強以外の物を取り上げられ、家を出ても引き戻され…という学生時代だったので、

 

学業と部活やアルバイト、友達付き合いを並行してこなしていた同級生に比べて、色んなもののスケジューリング・同時進行でいくつものタスクをこなす能力が、わたしは圧倒的に低い。

 

父は、わがままでジャイアン的に振る舞っていても、家族が何でも身の回りや家の事を整えてあげて、自分は勉強だけをしていれば良く、それで今の地位を手に入れた。だから、同じやり方が子どもにも通用し、その道が我が子の幸せへの近道だと信じて疑わなかったんですね。

 

社会学者という肩書きでありながら、発達障害である父には、残念ながら社会や人間を見る目、洞察力が、備わっていなかった。

発達障害だから。自分の事しかわからないから。人の気持ちもわからないし空気も社会も読めないから。

 

発達障害の親に育てられた子どもたち。

苦労は皆それぞれだと思いますが…

 

わたしと同じ境遇の、みんなに幸あれ。

 

 

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