毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

親の言いなり

別に親の言う事だけを何でも聞いてきたわけではないけれど、それでも、わたしの人生で大切だった事は尽く、親に潰されてきました。

死ぬほど悔しかったし、殺したいほど憎かった。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

わたしは、小学校は地元の公立。お受験をして、中高一貫の女子校へ進学。その後、父が勤める大学へ入り、大学院まで行きました。

 

今書いてみて改めてゾッとしましが中学以降の進路は、全て親の監視下にありました。

 

ウチの親は厳しい人で、モラハラで子どもたちの心を折り、怒鳴りつけ、物理的にも殴り、子どもを自分の持ち物の様に従えて管理していました。

 

毎日とても苦しかったけど、親からお金を出してもらっている以上は、それが普通なのだろうと思っていた。親は子に厳しく、親が「俺の言う事を聞け」と鬼の形相で詰め寄って来て、何をするにも親の許可が必要。そんな生活がどこの家庭でも当然なのだと思っていました。恥ずかしながら30歳くらいまで。

「勉強をしろ」と親から言われない家庭がこの世に存在するとは思いもよらないくらい、毎日毎日「勉強しろ」とだけ言われていました。そして親目線から勉強の邪魔に見えた夢も友だちも、全て親から分断され取り上げられました。

 

親は、やたらと悪口を言う人でした。

子どもが夢を持てばその夢の悪口。

友達が出来ればその友だちの悪口。

どこに住んでいるか

彼ら彼女らの親の学歴や仕事や収入。

その子の成績。

いやらしいくらいに詮索しては、何かにつけて悪く言ったものです。

 

父は、自分の目の届かない人や場所と、我が子との接点を減らしたかったのでしょう。管理がきかなくなるのが怖かった。

 

そして子どもが30を過ぎても、そんな親の態度は変わりませんでしたから、本当に、毒親もいいところでした。

 

どうして、子どもを自分の持ち物だと思うのか。どうして、何でも子どもが親の言う通りになるべきだと考えるのか。そして思い通りにならないと怒鳴りつけて罵倒して殴るのか。

 

過干渉な毒親に、自分の異常性を知ってもらいたい。本当に、もう、そんな時代じゃない。

 

子どもには子どもの意思がある。

親はそれを眺めているくらいが丁度良い。

子どもの考えや行動を、親がねじ伏せてねじ曲げる必要性がわからない。

自分の判断で行動できず親の顔色ばかり窺う様な大人が生きやすい社会ではない。

毒親は、子どもの為にならない。

 

しかしわたしがどんなにそう考えていても

親の言いなりになる子が、わたしの父にとっては理想だった様です。人形の如きクソつまらん「少女」を求めていた。

 

バカみたい。

吐き気がする。

心の底から軽蔑しています。

 

しかし一方で、親の愛というものも理解はしている。

 

この愛憎に、かつてお互い死にかけました。

 

お互いが別々の人格を持った他人であると

お互いに理解が足りなかったから。

 

そう。

他人。

他人です。

他人でいたい。ずっと。

 

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