毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

在宅初日終了

夫が今日から在宅勤務です。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

緊急事態宣言を受けて、夫が会社の機材を自宅にお引越し。在宅勤務が始まりました。

夫人の会社の周りの商業施設も軒並み休業に突入。「会社に行ってたらお昼に困るところだったなぁ」なんて言っています。

 

これから1ヶ月、不要不急の外出は避ける事になりそうです。毎日3食作ってあげなきゃいけないのかぁ。お互い外食にも行けないのかぁ。

息抜きゼロって、ちょっとしんどいなぁ。

女が家事100%のお家は、不平不満が募って行きそう。なんとか乗り切りたいものです。

(ここで夫への家事教育の必要性を解かれる方は幸せな方です。ウチはそうではないので全てはわたしの心次第。)

 

ウチの父も、家事を全くしない人でした。

そのくせ「俺は本気を出せばお母さんより料理は上手いんだ。手際が良いし、片付けも速い」と、指一本動かさないくせに口だけはエラそうだったので、今にして思えばおふざけが過ぎる。父本人は卓上に箸一本運ぶ事すらしないのに、母を「ノロマ」だの「マヌケ」だの罵り、自分が食べたい時にすぐに食事が出てこないと腹を立てていましたから。

 

「5歳児」「子ども3人分くらい手がかかる」

母は子どもが成人した後、父の事をそう言っていました。子どもが子どものうちは、黙って父をたてていた。今にして思えばエライもんです。お陰で父が絶対君主として君臨し、DVも暴言も好き放題でしたので、悪い面もあったのですが。殴られていたのは主にわたしだけで、母は殴られていなかったからなぁ。母に庇ってもらえなかった悲しさや苛立ちはあったけれど、しかしこれで母まで父に歯向かい、返り討ちフルボッコだったら家庭は完全崩壊だったかもしれないので、どちらが良かったとも言えないんですがね。

 

どうして今日父の事を思い出しているかというと、「夏休みみたいだな」と思って。

父は文化系の学者だったので、自宅にいる時間が世のお父さんたちより圧倒的に長かった。(理系の先生方は実験とかあるからお家にあまり帰らない方もいらっしゃるそうです) 大学にも週3回くらいしか行ってなかったし、大学の夏休みや冬休みは長いので、その期間は1ヶ月前後、毎日毎日家で3食ご飯を食べていた。

 

「これから向こう1ヶ月、毎日3食、夫の食事をわたしが全て作るのか」と思った時、実家で言うと、父の夏休み期間みたいな状態だなと気づいたんです。そして母はこれを当たり前に30年間続けて来たんだと。これからも毎日続けて行くんだと。

 

エライなぁ。母。

 

時には「お母さんは、ただの飯炊き女だから」と自虐的な発言もしていましたが、毎日黙ってご飯を作り続ける人は、やっぱりエラい。

 

「ママ、えらいね」と今わたしが言えば

母はきっと「慣れればどって事ないわよ」と少し得意げに、ふふんと笑って答えるのでしょう。

 

「どぉってこと、ないよね」

そう。そんな軽いノリで、わたしもサラリとご飯を作りたい。恩着せがましいのってカッコ悪いもんね。

 

1ヶ月頑張ろ。

 

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