毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

人を見下した瞬間自分も見下される

全ての人に遍く敬意を払いたい。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

昔はとにかく親を見下していました。

親が他人を見下していたからです。

父は、自分だけは特別で頭の良い人間だと、常に周囲の人々を馬鹿にしていた。その言動や行動を見てきて、とても心の歪んだ恥ずかしい親だと思っていました。

 

しかしそんな「バカ」や「死ね」や「殺すぞ」がすぐに口をついて出る我が親を見下してきたのに、悲しきかな同じ言葉をふとした瞬間にわたし自身も口にしてしまう事がある。

親が大嫌いなのに、その大嫌いな部分を大いに受け継いでいる絶望。外見も思考も言動も遺伝子も。こんな劣悪な遺伝子は後世に残すべきではない、みんなまとめて死ぬべきだと思っていた時期もありました。

 

そんなわたしが救われたのは「親が発達障害だったんだ」と気づけた時。いろんな事に納得が行きました。本人は悪気がなく、仕方なくそうなっていたのだと。モラハラもDVも含めて。

 

「親なのに何でよ!」「殴らないで罵らないで」「理解して」「応援して」「お金出してよ」「守ってよ」「愛してよ」…そんな要望を持つことすらバカらしい事だったのだと、諦めがつきました。

 

「そうか、ウチの親、発達障害だったんだ」

それは、事実の認識です。

発達障害である父を見下しているわけでもない。「個性だと思う事にした」というのは何か違うけれど、「そういう脳の作りの人なんだ」と納得できた。だから会話が成立しないのだと。理由がわかって、溜飲がおりたのです。

 

発達障害の困ったちゃん」父の事をそう思っています。しかし、決して見下してはいない。理解を示しているのです。

 

決して見下してはいけない。どんな人も。

 

人を見下し続けた父を見てきて

父から見下され続け、その思考回路を数年前まで引き継いでしまっていた自分の経験からも

 

「人を見下した瞬間、自分自身も人から見下される人間に身を落とす」

これは、間違いない気がしています。

 

経験則です。

 

だからわたしは、誰も見下したくない。

わたしがわたしを見下したくない。

 

発達障害の親でも、見下したりしません。

死ぬまで敬意を払う努力をいたします。

 

 

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