中学時代の事をふと思い出しました。
こんにちは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
「婦人公論」の、作家・村山由佳さんのインタビューを読んでいます。
https://fujinkoron.jp/articles/-/800
お母様との確執を描いた半自伝的な小説「放蕩記」が世に出たのは2011年。当時はまだ「毒親」という言葉がメジャーではなかった時代。
「村山さんは親になった事がないから母の気持ちがわからないんだ」「育ててくれた親の事をこんなに悪く言うなんて」そんな心ない文句を言う読者もいたそうです。
そういう事を言う人の多くは、幸せな家庭環境にあった人か、あるいは、家庭に不平不満がありつつも、それを表に出せるタイプではない人からの嫉妬?
「そんな事を言うもんじゃない」と正義を振りかざす人々が存在するのは「家族は仲良くあるべき」「親は敬うべき」「親に感謝すべき」という世間的な価値観の押し付けを感じている人、あるいはそれを常識として疑わない人が多いからかもしれません。
わたしは、中高一貫の女子校に通っていました。周りは所謂「良いお家のお嬢様」が多かった。
なので「ウチは親と上手くいっていない」という話しをすると「わたし、親を尊敬していない様な人と仲良く出来ない」と言われた事があります。そして、そのグループの子たちとは疎遠になりました。
彼女たちは今も家族関係は良好なのでしょうか。結婚後も、仲の良い家庭を築けているのでしょうか。介護の問題に直面する様になっても、変わらず親を敬い、感謝し続けていられているのでしょうか。
たまに、ふと、思うのです。
わたしを軽蔑した彼女たちは、変わらず「家族は仲良くするべき」「親を敬うべき」という価値観の中で、幸せでい続けられているのだろうか?と。もしそうであれば、それはそれで素晴らしい事ですけれど。
そしてもう一つ、これは自分について思うのは、一生分の苦労を実家にいた頃に済ませる事が出来ていたと仮定するならば、今後、親の介護を免除されないかしら、という事。昔の軋轢が免罪符にならないかしら。もはや恨んではいない。でも、だからといってわたしは聖母ではない。親の面倒なんて、見たくもないんですよね。
村山さんは、お母様に痴呆が出た時に「あれだけわたしを苦しませたあなたが、勝手にリングを降りるのか」と思われたそうです。
わたしはどうだろう。
その例えに乗るならばわたしは、わたし自身がもう、リングを降りた気でいるんですよね。親と闘う事には、とうの昔に疲れてしまいました。
程よい距離感のまま、お互い平和に、達者で暮らしたいものです。
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