毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

「大人の発達障害」と「大人の発達障害の〈疑い〉」の違いは実は自己申告制?

大人の発達障害のお友達から聞いたお話しなのですが、その「診断」についての疑問を解消してもらいました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

父は、わたしが見てきた限り完全に「大人の発達障害」に当てはまると思うのですが、医師から診断が下っているわけではありません。本人にはその自覚がないので、病院で検査を受けようと考えた事がない。ならばわたしが!と、初対面の人ですら手を焼くほどのガンコ者の父を「発達障害だと思うから診断受けて」と病院に連行する事はまず不可能。検査を依頼するならばその病院に大変なご迷惑をおかけしてしまいます。

なので父はあくまで娘のわたしから見て「発達障害の疑い」という状態です。

 

一方わたしの友人で発達障害をカミングアウトしている人がいます。彼女の場合は、病院で診断を受けていますが、正しくは彼女も「発達障害の疑い」という診断に留まっているのだそうです。なぜか。

 

まず彼女の場合は「あれ?わたし、発達障害なのかな?」と疑問を抱き、自ら病院に問い合わせをし、2カ所で検査を受けています。集中力テストやペーパーテスト、検査内容は少し違いがあったものの、そうは大差ナシ。

1軒目の診断は「発達の疑い」。

そして2軒目では、「発達障害と診断する事も出来ます。しかし、診断してしまっていいんですか? 疑い、に留めておいた方が良いと思いますよ?」と、医師から断定回避を勧められたそうです。

 

つまりは「発達障害」と診断を受ける事も、「発達障害の疑い」に留めておく事も、患者の意思で決められる場合が多い。それくらいのゆらぎ、曖昧さが認められているという事です。

 

しかし彼女も言っていましたが、発達障害というのは、自分や家族の問題です。本当に身近な人々さえその事実を理解していれば、おそらくは十分なのです。だから「疑い」くらいで丁度良いよね、と。その診断を免罪符に学校や職場で特別扱いをされたいわけでもない。多くの人はそうだと思うのです。もちろん、薬を飲んだり発達障害を克服する為の治療を受けたいという人は診断が必要かもしれませんが。

 

個人的には、その治療は必ずしも必要ではないと思っています。本人や家族が個性や特徴として認識し、少しだけ生きやすくなれば、それでこと足りる人も多いと思うんですよね。

 

わたしは、父親が「発達障害だったからあんなに困ったちゃんだったんだ!」と気づけただけで、ずいぶんと心が軽くなりました。

 

 

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