毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

ないものねだり

「ユイカって完璧主義だよね」と、中学の頃に言われた記憶があります。当時は褒められたと思っていました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

「ストイック」に憧れていました。親にも厳しくされていたので、それが正解であり、全人類の理想の姿に違いないと信じていました。ストイックに頑張れない人間は愚かなのだと。

 

だから学生の頃「完璧主義だよね」と言われた時「そうね、まぁね」と返しながら、「これはいい事なのか悪い事なのか?」と、少し心のどこかに引っかかりを感じつつも、ちょっと得意に思っている自分がいた。「わたし、ストイックな完璧主義に見えてる見られてる!」と。

 

「0」か「100」かのall or nothing的な思考回路。それで常に100ならばならばカッコもつくけれど、そうでない時に80や20を「100でなければ0同然だ!」とキレるなら、それはとても稚拙な思考回路です。常に100などあり得ない。今が5でも10でも40でも、ここから頑張ろう!と思える者は継続・コンスタントな積み重ねが出来るけれど、0か100かの思考しか出来ない者は途中放棄もしくは要クールダウン。やさぐれる時間が生じるのでかえって効率が悪い。

 

個人プレイならばまだしも、チームプレイで0か100か思考の人間と組まされたら?めちゃめちゃ面倒ですよ。「40の今ここから、みんなで一緒に頑張ろう!」というのが通じませんから。説得し、なだめすかして共に頑張らせる一手間が必要になるのです。

 

「あなたは完璧主義だよね」ともし今言われたら、「自分にも周りにも厳しくして、周囲の人々に窮屈な思いをさせてしまったのだろうか」と不安になる。ウチは父がそうだったから、わたしも0か100かのall or nothing思考が世の中のデフォルトだと思っていた。中学の頃は、それが周りにとって迷惑な事なのだと気付けなかった。

 

過度な完璧主義は人を息苦しくさせるのだと気付けたのは、社会人になってからです。チームのトップが、そのタイプだった。某大学を主席で卒業した才女で、彼女はバカを許さなかった。ウチの親を見ている様でした。

当時のボスを見ながら「完璧なんてこの世に存在しないのに、それを常に周りに強要するのはなんと愚かで、己の未熟さを露呈する行為なのだろうか」と思ったものです。正確には、彼女についてではない。彼女を通して、父を、わたし自身を恥じました。

 

平原綾香さんの「Don't give it up」という歌の中に「完璧ほどつまらないものはないさ」という歌詞があります。Liveで初めて聞いた時に震えました。現状を否定して否定して、この世に存在しない「完璧」ばかり夢想する事はやめようと、「0 or 100思考」はやめようと、あの時思えたんです。

 

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