緑茶を淹れるといつも祖父を思い出します。
こんにちは。毒親からの精神的脱却を目指してこのブログを書いています。アラフォー主婦のユイカです。
祖父の葬儀の時、火葬場の控え室で、叔母と2人で家族の煎茶を淹れていました。
茶道教授の叔母の手捌きは、お抹茶でなくともお茶に関してはやはり素晴らしい。
的確に、機械よりもキレよく美しく正確に。
急須の最後の1滴まで注ぎきる様に、叔母は、綺麗な所作で全員分の茶器に緑茶を回し淹れて行きました。
「この1滴で、味が変わるのよ。不思議なくらいに」
その一言がとても印象に残っている。
だから、今も急須でお茶を淹れる時、最後の1滴を落とそうと軽く茶器を揺する時に叔母の美しい所作とともに祖父の事を思い出すのです。
かつて祖父を憎んでいました。
父がわたしを殴るのは、祖父が父を殴っていたから。父がわたしに異様に厳しいのは、祖父が父を異様に厳しく育てたから。
わたしの苦しみは家系による不幸の連鎖であり、祖父がわたしの苦しみの元凶だと思っていた。
しかし、父が祖父に厳しかったのは戦後という時代背景もありましたし、何より祖父は父に寺を継がせたかった。次期住職としての修行と躾を混同していた。結果父から嫌われ寺も継いでもらえなかったわけですが、祖父は祖父で仕方がなかったのだと、今なら思えます。
そういえば先日、昔のアルバムを実家で見ていたら、生前の祖父の写真が出てきました。
わたしの幼稚園の入園式の写真。祖父は袈裟姿でしたが……
頑固坊主そのもので、苦虫を噛み潰した様な顔で写っていました(汗)
「あの家は地獄だった」と後に祖父は語っていましたが…初孫の入園式ですら苦悶に満ちた顔(汗)
祖母との夫婦仲も父との親子仲も最悪だった祖父ですが、その悲しみや孤独から、あのしかめっ面がデフォルト化していったのでしょうか。
じいちゃん。コワイ顔してたらそりゃ、人から煙たがられるよ。不機嫌な顔してても誰も慰めてくれないんだよ。不機嫌な人は敬遠されるんだよ。お坊さんだからみんなじいちゃんの事を立ててくれて、文句は入れてこなかっただろうけど…お坊さんだって、ニコニコ柔和な方がそりゃ、人から好かれるよ…。
もしも生まれ変わったら、ニコニコ過ごせる家族に恵まれるといいね。
過去のアルバムはそりゃ、笑顔が残っているに越した事はありません。しかし、辛そうな顔が残っていたからこそ、思う事もあったのでした。我が家の不幸の連鎖を、何とか終わらせたいと思っています。それが長女の役目かと。