毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

父の動機の動機。

昨日の続きを書きます。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

昨日のブログの一部を掘り下げてみます。

「ウチの父は、基本的に、自分の我を通しまくる人でした。なので、自分のやりたい事はある程度出来ていたのかもしれない。しかし子どもには自分の恐怖心や競争心を押しつけてきた。」

「子どもが人生を失敗しない様に、道は俺が決める。同僚の子どもなんかに俺の子どもが学歴で負けるなんて耐えられない。お前ら勉強しろ!」

 

子育て中の父の判断基準は、本人の顕在意識的には「子どもの為。子どもの将来の為。子どもの幸せの為」だったのでしょう。

その為の方法として父が知っていたルートは「良い大学に入って、専門職に就く事」1択でした。だから弟が一般企業の内定を取った時には「一般企業なんかに入ってもリストラや肩叩きに遭うんだ!大学に残って研究者になれ!」「いいか!絶対後悔するぞ!大学に残らなかった事を!俺の言う事を聞かないと絶対お前は不幸になるんだ!」などという不可解な事を叫んでいました。自分の想像出来る範囲内の事しか認めない人。つまりは極端に怖がりで、失敗のなさそうな道しか選べない人なのです。

 

そんな父の潜在意識的には、強烈な劣等感と、承認欲求があったはずです。

父は学者だけれど、東大・京大の出身ではない。自分が東大・京大に入れなかった悔しさを、子どもを入学させる事で果たしたかったのでしょう。結局子どもも3人とも東大・京大には入れませんでしたが、もしも入学させる事が出来ていたならば「お父様の子育て・教育が素晴らしかったからですね!」と褒めてもらえていたはず。そう。父は、褒められたかったのでしょう。祖父は誰かを褒めるという事をしない人だった。父は祖父から褒められた事がない。だから代わりに「世間」から称賛を得たかった。そういう事なんだろうと思います。

 

虚しいですね。

 

自分の幸せを他人任せにする事も

世間からの称賛がモチベーションという生き方も。

 

わたしは、自分の幸せは自分で決める人間でいたい。

 

 

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