毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

辛い時を支えてくれた人

他人に腹の内を見せられる人というのは、仲間に恵まれるのだなぁ。そう思う出来事がありました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

今日は、とあるミュージックバーで初ライブがありました。コロナでライブハウスや飲食店は夜の営業が難しくなって、2月にオープンしたそのお店も「みんなで歌える店を」とオープンしたのに、この6月までライブが出来なかった。だからマスターにとっても、彼を応援してきた人々にとっても、待ちに待った、念願の初イベント。

とてもあたたかい時間で、そして楽しく、盛況でした。

 

マスターの応援に駆け付けた人々の半数は、彼が人生で1番辛かった時期を支えた人たちです。

マスターは奥様を病気で亡くされている。

闘病中、奥様が入院されていた病院の近くにあった居酒屋が、マスターの心の拠り所だったそう。その居酒屋さんにはギターがあって毎日がオープンマイク状態。奥様の看病の傍ら、息抜きにその居酒屋さんで歌い、自分の不安や悲しみを居酒屋の大将ご夫妻や常連客と分かち合うことで、マスターは救われていたらしい。

自分を支えてくれたあの居酒屋みたいなお店を作りたい!と、奥さんが他界された後に第二の人生としてマスターが始めたミュージックバー。沢山の人の憩いの場となります様に。

 

その「病院近くの居酒屋さん」の話しを聞いた事はあったものの、そちらの皆様とわたしは、今日のミュージックバーでのイベントが初対面。

 

「奥さんの闘病中は毎日ウチでわんわん泣いてたのに、今じゃ別人よ〜。こんなに落ち着いて〜。あんなに泣いてたのに〜」

「マスターの奥さんが亡くなった頃、俺も親友を亡くした時期でさ。2人で毎日泣いたよ〜」

 

そんな昔話を伺いました。

 

それでね、「あぁ、あったかいなぁ」って、思ったんです。自分の不安や悲しみを声に出して、まわりがそれを聞いてくれる。慰めてくれたり、悲しみを共有したり、全部忘れて大声で歌ったり。やっぱり、人と繋がるって、あったかいなぁって。

 

そして「ウチの両親にはない感覚だなぁ」とも。わたしの両親も祖父母も、他人に腹の内を見せる事はなかった。「怒り」は容赦なく爆発させて他者を攻撃したけれど、「喜び」や「悲しみ」を人に見せる事はない。

喜ぶ姿を見せる事には「こんな事で喜べば子どもみたいだと思われる。単純単細胞めと思われる」という恐れがあり、悲しみを見せれば自分が惨め。とにかくポーカーフェイスがカッコいい。人と馴れ合うのは面倒だし危険。そんな考えです。

 

だから両親は、コロナなんて、本当に日常生活になんの支障もなかった。人と触れ合う習慣がそもそもなかったから。

 

特に父は発達障害丸出しで他者との交流が苦手で、心の交換をする能力が完全に欠落しているので、そんな願望はないのかもしれません。しかし多くの人々にとっての当たり前な「仲間との交流」、その喜びを知らずに死んで行くのだなぁと思うと、娘として、ちょっと悲しい気もします。

 

 

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