毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

人が死ぬということ

今夜はコロナ以降、初めて、ライブハウスに行きました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

わたしは音楽が好きです。

音楽がなければ、わたしも早くに病み、死んでいたかもしれない。

 

 

三浦春馬くんが死んでしまった。

SNSでコロナ禍の中の主演舞台への誹謗中傷があったとも聞くけれど、真相はわからない。

 

素敵な俳優さんだった。

とても努力家で、歌もダンスも上手くて。

 

今日、久々のライブハウスで、大好きなベーシストさんの超絶技巧のソロを目の前で聞きながら、わたしは泣いた。

久しぶりの生演奏に心震えて、感動して。

あまりにカッコよくて、泣いた。

そして思った。

 

あぁ、三浦春馬くんは、こんな風にLIVEを見る事は、もうない。魅せてくれる事もない。

死んじゃうって、そういう事なんだと。

 

そんな事を考えながら、引き続きステージを見た。

心震えた。

音楽は、やはり、いい。

とてもエモーショナルなものだ。

生の音楽を共有すると言うことは、そこでみんなが生きているという事だ。共に生きているという事だ。

 

オンラインじゃダメなものはダメだ。

生じゃなきゃ味わえない感動がある。

 

そして、それを共有する事が、わたしにとっては生き甲斐のひとつだ。

 

多分、この生き方は、父にはわからない。

昔から父にバカにされて来た生き方だ。

でも、どんなにバカにされようと、音楽のおかげでわたしは生きてこられた。これまでも、これからも。

 

音楽を通して、会いたい人たちがいる。

 

だからわたしは、まだ、死なずに頑張って行こうと思う。

 

 

三浦春馬さん。

お疲れ様でした。

どうか安らかに。

 

 

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