わたしの人生の転落が始まったのは25年前。高校1年生の、摂食障害が始まった頃で間違いないのでしょう。
こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
摂食障害が始まった頃は、親や学校に勉強以外の全てを取り上げられて、本来夢に描いていた高校生活をツブされ、それを恨んでいました。
「親」と「学校」が、とにかく憎かった。
しかしながら果たして、憎悪の対象は親と学校だけだったのか?「憎む」「恨む」というのは、当時のわたしの謂わば「ライフスタイル」だった気がしています。
とにかく、恨んでいた。
何か、恨んでいた。
理由なき反抗的に、恨んでいた。
地球に仕返しーー!
ぐわーーーっ!
それくらいの勢いで、対象も理由もテキトーながら、とにかく恨んでいた。
全てに常時ムカついていたけれど、もしかしたらその原因は必ずしも親と学校だけに留まるものではなかったのではないか。
ライフスタイル自体が「恨み」であり「反逆」。しかしただ闇雲に恨んでもそんなもの成就するわけがありませんから、何もかもが自分の思い通りに行かないという事に対する「悲壮」「絶望」「憐憫」なんかが当然の如くセットになっていた。
意味がわからないのですが、本当にそうなのです。
とにかく全てにムカついて恨んで、
復讐や仕返しをしたい気持ちでいっぱいだけれど、そんなものは叶わず、ペーソス。
うーん。めんどくさいな。
「子供だった」と言うに尽きるといえば尽きるのだけれど。
ムカついて。
思い通りにならない事にキレて、
いじける。
うむ。子どもです。
何だったんでしょうね?
大人になった今ならば、
1つの方法がうまく行かなかったら、別の方法を考える。あるいは考え方を変える。経験や思考を使って、自分の幸せへの道を模索出来ます。あるいは諦めて傷つかない道を選ぶ事も出来る。
ですが当時はそれが何一つ出来なかったわけです。
恨んでやる!
何も上手く行かない!
みんな死んでしまえ!
ていうかわたしが死にたい!
あー。これだ。
逆ギレで死にたがってました。
そう。とにかく死にたがっていた。
何かを恨み、怒りと悲観に暮れながら。
それが、高1の頃から酷くなって行ったわけです。
恨んでいたのは親や学校でなければ日本なのか社会なのかシステムなのか世間なのか世界なのか地球なのか最早よくわかりませんが…
とにかく。長い間、恨みすぎてごめんなさい。
そろそろ改心しようと思います。
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