毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

思い出す、という事。

過去を振り返ってはイライラを募らせて来ました。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

わたしにとって「思い出す」という事は、父をはじめとした家族から受けた仕打ちを思い返して、「なんでひどい!」「許さない」「仕返ししてやる」「見返してやる」「いつか謝らせる」「死んで謝れ」「詫びろ」「貴様、己の過ちをなぜ認めない」「いつか殺してやる」こんな呪いの様な言葉に埋もれる作業でした。

 

根に持ち、恨んでいた。

 

本当は、愛して欲しかった。

こちらの期待する方法で、大切にされたかった。1人の人間として、信じて欲しかった。

 

その気持ちの分だけ恨みに転じていたのなら、ある意味わたしは彼らを愛し、大切に思い、期待していたわけで、それは父も同じだったのかもしれません。

 

一方で「思い出す」と似て非なる言葉に「偲ぶ」という言葉があります。

 

「偲ぶ」となると、思い出の悪い面や憎らしい面よりも、美しい面を慈しむイメージです。

 

祖父や祖母が死んでからは、祖父母について嫌な面を思い出す事は減りました。寧ろ懺悔の様な、悔恨の念ばかりが浮かんできます。

 

いつか父が死んだら、偲ぶことが出来る様になるのでしょうか。

 

 

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