ウチの父にとっての「恥ずかしい事」とは「目立つ事」→「人に己を見せる事」→「人に腹の内を見せる事」だった様です。
人に腹の内を見せるのが怖い
いいように利用される
批判されたり笑われたりしたら嫌だ
信じて裏切られたら嫌だ
そんなところでしょうか。
常に子どもに対して抑圧的な父でしたので
全て一緒くたにして、とにかく何もかもにおいて「恥ずかしい事をするな」と言われました。
幼稚園のお遊戯会やお芝居で主役をしたい→恥ずかしい事をするな。目立つな。
小学校の学芸会でピアノを弾く→恥ずかしい事をするな。もっと上手いやつから笑われてバカにされる
中学時代、声優になりたかった→恥ずかしい。芸能人になりたいだなんて、そう思う思考回路が異常だ。
高校時代、演劇部→恥ずかしい。やめろ。
大学の頃、世にネットが広がり始め、ブログサービスが誕生→いいか!日記なんて人に見せるものじゃないんだ!恥ずかしい!そんな物を書き始めたらパソコンを壊すぞ!
…今、その父をネタにブログ書いてますけどねw
とにかく、人との関わりを恐れ
娘が外の世界に出ていく事を怖がっていた様に思います。
やる事なす事「ダメだ」「恥ずかしい」「失敗する」と言われ続けると、子どもはポジティブには育たない。反骨精神が芽生えるかもしれないけれど、他者との協力・共生が得意な人間に育てたかったら、それは遠回りになります。
否定的な言葉ばかり使う子育ては、最悪です。