わたしの父はデブでした。
70歳を超えて少ししぼんできましたけど
60代までは身長171cmに体重90kg代をキープしていましたから、充分デブでしょう。
「俺は水を飲んでも太るんだ!体質なんだ!
バァさんもそうだから遺伝なんだ!」
そう言っていましたが、お菓子もジャンクフードもモリモリ食べていましたし、カレーやシチューは上に浮いた油だけを掬い集めてすすったりしていましたし、肉は脂身があるところを
「エライ俺によこせ!美味いところは俺の物だ!」と言って、子どもの皿から横取りしていましたからね。
太るはずですよ。
「水を飲んでも太る」と自覚していたので、漢方的に見ると「気・血・水」のうち明らかに水の巡りが悪かったのでしょう。
(詳しく調べてあげたりはしていないので知りませんが。)
うちの父のデブは水の巡りが悪いとか食べ過ぎだとか様々な要因があるにせよ、あのデブは怠慢による結果です。
長年運動もしていなければ太るものばかり飲み食いし、日々ゴロゴロと過ごしてきたのですから、痩せるはずがないのです。
「自分はデブであり、それは個性であり、デブな俺も愛くるしい」と思っている自己肯定感の高い可愛らしいデブだったならば、そんなデブをわたしは嫌いじゃありません。
しかし父はデブな自分にどこかコンプレックスがあったのか
痩せ型の人を見ると
「ガリガリだ」「顔色が悪い」「早死にする」「あんなに痩せてたら骨粗鬆症になって将来歩けなくなる」「痩せてるやつは年をとったら皺くちゃになるんだ」と
ディスりまくっていました。
負け惜しみ?
きっと羨ましかったんでしょうねぇ。
自分が痩せ型だったらオシャレもしてみたかったのかな?痩せ型な上にオシャレな人の事は、さらにディスっていました。
自分は動かず、努力をせず、自分が欲しいものを持っている人の事を羨みディスりまくる。
彼らの努力を想像もせずに。
体型に限らず、父はあらゆる事がそうでした。
羨んでるヒマがあるなら欲しい物は努力して手に入れろや!!!…と、思うんですけどね。
出来ない理由をやたら並べる人でした。
有難い事に、父は今まで大病はした事がないのですが、絶望的に何もかも頑張れなかったのは、身体がキツイだとか、気力体力共に循環が悪かったとか、オバケにでも取り憑かれていたとか、理由があるのかもしれません。
自分は動かず周りの悪口ばかり言い募っていては、身体が泥水のように増々滞り、重くなるのは当然。更に動きづらくなっていったのでしょう。悪口って、何か重たいもん。
そう考えると哀れです。
人の悪口言う人って、きっと暇なんですよ。
動いてる人は、他人の悪口なんて言う暇ないですからね。「悪口を言いたくなったらその分わたしは動こう」父を見ていて、そう思う様になりました。