毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

魚人島

ONE PIECEで1番好きなのは頂上戦争編ですが

(エースが好きだから)

 

1番胸にザクザク来たのは魚人島編です。

62〜66巻。

 

「恨み」「怨念」そういった物に己を取り込まれない。目の前に存在している「恨み」「怨念」から逃げない。見て見ぬ振りをしない。

 

こういった事が描かれていますが、それって、なかなか出来る事ではありません。

(だって小さな事で言えば、道でわけなく体当たりされたり、電車のイスを横取りされたり…その程度でもチッて舌打ちする人、いるじゃないですか。)

 

我が家は父も祖父も、曽祖父や曽祖父の父も、恨みや怨念に取り憑かれ取り殺され、母や祖母は諦め、ただ耐えた。

 

家系そのものが、恨みや怨念で出来た家でした。

 

 

父は社会学者ですが、社会を、世の中を、恨み蔑んでいました。人と交わる事が怖かったのかもしれませんが、その恨みの半分以上には実態がなく、実害がなく、空想であり妄想であった様に思います。

 

その姿は、ONE PIECEで魚人島乗っ取りを企てたホーディの姿と重なります。

 

 

一方でONE PIECE魚人島編のヒロイン・しらほし姫や、兄弟。母であるオトヒメ王妃。

 

失った物を奪って埋めるなど、不幸を連鎖させてはならない。

殺されたから殺し返すなど、仕返しをすれば同族に身を落とす。

更なる復讐や悲劇を生んではならない。

恨みや怨念に取り込まれない。

怒りや憎しみを、何も知らない子どもたちに植え付けない。

怒りや恨みに負けず、目を閉じて受け流す事も強さであり優しさである。

恨みのまま復讐する事こそ愚か。

 

こういった事が彼ら彼女らの口から語られるわけですが…素晴らしすぎる。

まさに人生の光。

海底1万メートルにありながら、この思想こそがタイヨウです。

 

魚人街の面々を魚人島の闇として描き、またその魚人街の中にもタイガーやジンベイの様な英雄がいて、アーロンやホーディもただの理由なき悪としては存在していない。

 

闇と光の対比が、描き方が、素晴らしすぎる。

 

そもそもONE PIECE序盤でナミの島が魚人アーロンに占拠されていた事、ウォーターセブン編でフランキーの師匠トムさんが魚人であった事。壮大な伏線をはり、60巻を超えたところでこんなにも大切なテーマを持った魚人島編にたどり着いた。

 

なんて素晴らしい漫画なんだろうと頭が下がります。

 

他者の無念を我が身の怨念にすり替えない。

怒りや恨みに支配されない。

 

人生に、とてもとても大切なこと。

 

魚人島編のラスト、荒くれ者の巣窟・魚人街が封鎖され、そこにいた魚人たちが本島に受け入れられた事で、わたしの胸の内の黒い物が、少しだけ救われた気がしたのです。

 

尾田栄一郎さま。

あなたの描くONE PIECEに、救われています。

 

 

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