ONE PIECEで1番好きなのは頂上戦争編ですが
(エースが好きだから)
1番胸にザクザク来たのは魚人島編です。
62〜66巻。
「恨み」「怨念」そういった物に己を取り込まれない。目の前に存在している「恨み」「怨念」から逃げない。見て見ぬ振りをしない。
こういった事が描かれていますが、それって、なかなか出来る事ではありません。
(だって小さな事で言えば、道でわけなく体当たりされたり、電車のイスを横取りされたり…その程度でもチッて舌打ちする人、いるじゃないですか。)
我が家は父も祖父も、曽祖父や曽祖父の父も、恨みや怨念に取り憑かれ取り殺され、母や祖母は諦め、ただ耐えた。
家系そのものが、恨みや怨念で出来た家でした。
父は社会学者ですが、社会を、世の中を、恨み蔑んでいました。人と交わる事が怖かったのかもしれませんが、その恨みの半分以上には実態がなく、実害がなく、空想であり妄想であった様に思います。
その姿は、ONE PIECEで魚人島乗っ取りを企てたホーディの姿と重なります。
一方でONE PIECE魚人島編のヒロイン・しらほし姫や、兄弟。母であるオトヒメ王妃。
失った物を奪って埋めるなど、不幸を連鎖させてはならない。
殺されたから殺し返すなど、仕返しをすれば同族に身を落とす。
更なる復讐や悲劇を生んではならない。
恨みや怨念に取り込まれない。
怒りや憎しみを、何も知らない子どもたちに植え付けない。
怒りや恨みに負けず、目を閉じて受け流す事も強さであり優しさである。
恨みのまま復讐する事こそ愚か。
こういった事が彼ら彼女らの口から語られるわけですが…素晴らしすぎる。
まさに人生の光。
海底1万メートルにありながら、この思想こそがタイヨウです。
魚人街の面々を魚人島の闇として描き、またその魚人街の中にもタイガーやジンベイの様な英雄がいて、アーロンやホーディもただの理由なき悪としては存在していない。
闇と光の対比が、描き方が、素晴らしすぎる。
そもそもONE PIECE序盤でナミの島が魚人アーロンに占拠されていた事、ウォーターセブン編でフランキーの師匠トムさんが魚人であった事。壮大な伏線をはり、60巻を超えたところでこんなにも大切なテーマを持った魚人島編にたどり着いた。
なんて素晴らしい漫画なんだろうと頭が下がります。
他者の無念を我が身の怨念にすり替えない。
怒りや恨みに支配されない。
人生に、とてもとても大切なこと。
魚人島編のラスト、荒くれ者の巣窟・魚人街が封鎖され、そこにいた魚人たちが本島に受け入れられた事で、わたしの胸の内の黒い物が、少しだけ救われた気がしたのです。
尾田栄一郎さま。
あなたの描くONE PIECEに、救われています。
#親が発達障害 #親がADHD #ジャイアン #毒親 #DV #モラハラ #ONE PIECE #魚人島 #しらほし姫 #オトヒメ王妃