ウチの父は、祖父から受けた不当な扱いを子どもに愚痴る人でした。
こんにちは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
父から特に何度も聞かされたのは
「俺はオモチャで遊ばせてもらえなかった」という話し。
住職だった祖父は檀家さんから「お坊ちゃんに」と、父へ車のオモチャを頂いたらしいんです。でも祖父は「オモチャは子どもをアホにする」と考えて、その車の玩具は押入れ行きになった。それを父がこっそり取り出して遊んでいたら、祖父にバレてしまって折檻を受けたそうです。
また、ある時は、幼き日の父が朝、お友達と校庭のブランコで遊んでいたら、家に連れ戻された。「ブランコなんかで遊んだらアホになる」と怒鳴られ連行されて、代わりにお寺の掃除や家族揃っての朝食を強要されたと。玩具は悪と言われ、家のルールにはめ込まれて、お外でお友達とも遊べなかったのがイヤだったと。
そして、父は自分が親になってからも、我が子に「自分が祖父からされて嫌だった事」と全く同じ事を強いていたのでした。
仕返しのようなループにはまり、祖父から受けた仕打ちに倣うかの様に子どもを厳しく躾け、自分のルールに子どもを埋め込み自由を奪う父。「俺はじいさんからもっと不当な扱いを受けて辛かったんだ!それに比べたらお前らはマシだ!」と子どもを怒鳴りつける。
今にして思えば、それは、父の問題で、我々兄弟には関係のない話しだった。祖父と父の確執なんて、本来、父と我々子どもたちとの間に何の関係もない。持たせるべきでない。
「DVを受けて育った人間は我が子にDVを働く様になる。」
それは、恨みを連鎖させたい、俺が受けた痛みをお前らも味わえ、仕返しをしたい、「つらかったね」と共感されたい、わかってもらいたい…そんな、未熟な人間が陥る道。自分で自分の機嫌もとれず、子どもに当たり散らす。精神がコドモのまま身体だけ大きくなった人間が、我が子に己の介護をさせている様な状態です。
この原点が、ウチの父の場合、「子どもの時にオモチャで遊ばせてもらえなかった事」らしいんですね。こんなに根に持つくらいなら、オモチャの1つくらい父に与えておいて欲しかったと、祖父に恨み節でも言いたくなります。
「子どもにオモチャを買い与えるか論争」については、今はネットで様々な意見が交換されていますが、子どもの特性を親が見極めて、適切な物を適切な量与える事がどうやら大切そうだなぁと思います。さじ加減は、親次第。
ちなみに今どきそんなお家は少ないかもしれませんが、全く与えないと、捻くれ者に育つかもしれませんよ。ウチの父みたいに。
「みんなが持っている物を自分は持てない」という恨みや劣等感が、心身の成長の妨げになってしまってはいけません。買えるものを買わずに済ませてしまったが為にそうなってしまうとしたら、ちょっと残念じゃないですか。
子どもたちが、自分に合った適切なオモチャを、みんなそれぞれ、適量持てるといいね。
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