友人に勧められてマンガの「東京タラレバ娘」を読みました。
面白かった。
最初は、「同じ女としてわかるぞ、その悩み」と思いつつも、「てかお前ら、親友って言える友達がいるだけで幸せだろ?『幸せになりたい』って、それ以上何望んでんのさ?」と、冷めた目で読んでいました。
わたし、友達いないんで。
持たざる者のひがみですけれど。
でもね、最終巻は泣きました。
主人公の倫子がKEY君を「幸せにしたい」と泣くくだり。
ネタバレですけれど
「東京タラレバ娘」とは、アラサー同級生の3人娘が「あの時☆☆だっタラ」「明日から○○すレバ」といった、タラレバトークばかりを繰り広げ、「幸せになりたい」という割には「結婚向きな男」を選べずにもがき苦しむけれど、
最終的に主人公は妥協や打算で妥当な男を選ぶ事なく、自分の心に正直に好きな男の元に走り、「あの時○○タラ、あの時○○してレバ」と言ったタラレバを卒業し、「あの時☆☆だったカラ」今があると、「カラ」に目覚め、過去に感謝をする事を覚え、世間一般の幸せ論に惑わされずに、自分をしっかりと持ち、「カッコイイ女」を目指すぞ!と、自分軸が定まった生き方に落ち着く…というお話しです。
アラサー女性に大人気のお話しの様ですが、
「あの時○○だったカラ、今がある」と自然発生的に思え、過去に感謝できるというのは、人間としてレベルが相当高いな、と思うわけです。
男の人でもこの考え方、必要だと思うんです。
女以上に男の人ってアホなので、こういう思考が出来る人、少ないでしょう?
過去に自然と感謝できる思考、アラサー女子だけでなく、男にもオッサンにもジィさんにも必要なんじゃないのかなぁ?
その発想の転換から救われる人、「タラレバ」から卒業する事で心が軽くなる人って、アラサー女子に限らず日本に結構いるんじゃない?…と、思ったのです。タラレバ人口って、実はすごく多いと思うから。
例えばウチの父もタラレバが酷かった。
ある時バターンと娘の部屋のドアをノックもせずに開けたかと思えば
今の話ではなく過去の事
わたしの幼稚園の頃の失敗?や、小学生の頃の学芸会の失敗や、受験の失敗を罵りに来る事がありました。
「お前があの時成功していタラ、俺は恥ずかしい思いをせずに済んだのに」と、基本はそんな理屈でした。
いつまでも子どもの過去の失敗を握りしめ、折に触れて思い出しては罵り倒すって、何なんですかね?
それだけ「期待して愛しているから応えてくれタラよかったのに」という父の心の叫びだったのかもしれませんが
毎日毎日
「見てろよお前は失敗する
俺の言った通りになる
必ず失敗するんだ」
毎日わたしにそう言って洗脳&コントロールをしかけてきていたのは父ですから、その言葉が実現しただけなのでは。
怖がらせることによって「そうならない様に頑張ろう」と思わせる事が父の狙いだったのかもしれませんが
脅しや恐怖の植え付けでは、子どもは親の思惑通りには育たない。
父がおかしかったカラ、わたしはそれを知る事が出来ました。
しかし父はわたしに未だにタラレバばかり言っています。
「俺の言った通りに勉強していタラ
東大や九大に入っていタラ
東大出身の男と結婚していレバ
公務員になっていタラ」
うっせーよ。
パパ、社会学者でしょ?
「東京タラレバ娘」読んで、勉強したらいいよ。
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