毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

お前の家の梨も林檎もタダじゃないか

今日は昨日に引き続き、父から母へのモラハラの続きを書きます。

 

こんにちは。

社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

 

ウチの母の実家は、長野の果物農家です。

昔の田舎の風習が色濃く、比較的血縁関係の近い親戚同士での近親婚が繰り返されていた為、寿命の短い人が多い…という家系でした。

こんな退屈で狭い世界で人生を終わりたくない!と母は思い、貧乏暮らしな苦学生を覚悟で東京の大学へ進学。

「学生のうちに結婚相手を見つけないと、親戚と結婚させられて一生農家のままだ!」と、かなり前のめり気味に結婚相手を探しました。

そして

「高級なハチミツをくれて、良い人だと思った」

という驚愕のチョロさで恋に落ち、父と結婚したのです。

ちなみに父も福岡から東京の大学に進学していたので、父と母は東京で出会いました。

祖父は父に厳しく、息子に何も与えない人でしたが、その分曽祖父が父に激甘で、父はひいじいちゃんからのお金を湯水の如く浪費していたのです。そのお金回りの良さも、母には魅力的に見えたのかもしれません。

 

ところが結婚後福岡に引っ越してからの母は、籠の中の鳥でした。

専業主婦でいる事を強いられていて、自分のお金を持てず、家のお金は1円たりとも自分の意思では使えない。

通帳もレシートも、父に細かくチェックされる。家のお金がどこにいくらあるのかも、全くわらない。

 

行動も管理されていて

家から1歩出るだけでも言い訳が必要。

散歩してきます、というのは通用しない。

コンビニに行く、と言えば何を買うのか問われ、買う物の要不要は父が決める。父のOKが出なければお菓子の1つでさえも買えない。

 

祖父母に頼まれたお使いがあったとして母が1人で外に出ても、直行直帰しなければ、父の想定より帰宅が遅れた場合はその理由を秒単位で詰められる。

 

父が帰宅する時は、車庫のシャッターが上がる音から帰宅を察知し、瞬時に玄関に向かい、父の帰宅を笑顔で迎えなければ、わめき散らされる。

 

他にもとにかく、何でも父の言う事に従わなければ「誰のおかげで暮らせているんだ」と怒鳴られていました。

 

当然人生で携帯を持った事がなく、スマホの使い方も知りません。全て父の管理下です。

 

父の機嫌が良かったらよかったで、嫌味が酷い時もあります。特に食に関して。

 

高級食材・高級店での食事の際には

「誰のおかげだ?」

「長野にいたら一生食えなかっただろう?」

「お前の実家の人たちはこんないい物、食べた事あるか?」

そんな失礼な事を毎度言うのでした。

 

その長野からは、旬の果物がよく届きました。

母と結婚したからこその恩恵なのですが父はそこには感謝が皆無で

「沢山余ってるぶんを、食べてやっている」

「余り物なんだからタダ同然」

そんな思考だった様です。

 

母が長野へ果物の返礼品を何か送ろうとする度に

「向こうはタダの物を送って来とるだけなのに、なんでこっちが金を払って、わざわざデパートで買い物をして、送ってやらないかんのだ?こっちが損してるじゃないか!」とわめいていました。

 

とにかく、損が嫌い。

自分のお金が減るのが嫌い。

でも、人からもらえる物は何でももらいたい。

俺の物は俺の物。

お前の物も俺の物。

精神年齢は推定5歳。

リアルにジャイアンでした。

 

母はよく耐えてくれたものです。

 

我々兄弟は3人兄弟ですが、

母は父の事を「子ども3人ぶんくらい手がかかる」と言っていました。

そんなに大変って、やっぱり異常です。

 

父の嫁は、ウチの母以外の誰にも務まらなかったと思います。

 

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