毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

幼稚園の頃、人を疑う事を覚えた

父もそうなのですが、わたしも負けず劣らず疑り深い性格でした。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

猜疑心に関する1番古い記憶は、幼稚園の頃。確か登園したくなくて仮病を使ったような気がします。幼稚園に行きたくない。でも、ただ「行きたくない」と言っただけでは休ませてもらえない。それで「頭が痛い」とでも言ったのではなかったか。幼稚園ですから当然、お休みの連絡は親が園に電話を入れます。

 

母が「今日は風邪っぽいのでお休みします」と電話をしてくれたところ、電話の向こうの先生は「あら、残念ね。今日はユキちゃんがユイカちゃんにプレゼントを持ってきてくれていたのに」と、おっしゃったらしい。

 

その時、家の玩具のジャングルジムを登りながら話しを聞いていた幼き日のわたしは

「えっ!プレゼント!欲しい!行けば良かった!やっぱり今から行こうかな。でも仮病がバレて怒られるかな。つまらないな。仕方ないな」と、残念に思っていました。

 

しかし、人生初かもしれない「疑念」は、その時母と先生それぞれに抱いたものでした。

 

お母さんは、わたしが仮病を使ったのにムカついたから、わたしに仮病を白状させたくて嘘を言っているんじゃなかろうか。「仮病だったの!ウソついてごめんなさい!ユキちゃんと遊びたいからやっぱり幼稚園に行く!」そう言わせたいんじゃなかろうか。

あるいは先生もそうかもしれない。しかし実際会っていない先生はわたしが仮病と知れるはずがない。いや、母の困った様な口ぶりから感じ取ったか?そもそもユキちゃんがわたしにプレゼントを持って来るなんて事は今までなかった。わたしがいないのに、わたし宛のプレゼントの存在をなぜ先生が知っている?ユキちゃんが登園後、すぐにわたしを探したけど見当たらなくて先生に相談したのか?登園早々?

 

そんな事を一瞬のウチに考えたけど、仮病を取り下げてプレゼントに釣られて登園なんて、そんなカッコ悪い事出来るわけがない。その日は仮病を続け「プレゼントか〜〜。本当なら何だったのかな〜〜〜」と思って過ごしました。

 

そして次の日。普通に登園しましたが、先生もユキちゃんも、プレゼントのプの字も出さない。「ユイカちゃん昨日お休みしてたけど、風邪は治ったの?」なんて事も聞かれない。

 

そしてわたしも「昨日電話で聞いたよ!プレゼント持ってきてくれてたって!ありがとう!」なんて事は言わない。「乞食の様な卑しい事はするな」と言われていたから。思えば幼稚園の頃から、欲しい物を欲しいと言うと「金食い虫。贅沢女」と言われていたから。

 

あの日ウソをついていたのは誰?

そう思いながら自分からは誰にも尋ねる事はせず、ユキちゃんプレゼント事件の事は、しばらく根に持ち続けた。

 

子どもながらに陰気でしたね。

 

子どもらしく、気になる事は思ったままに聞いてみれば良かったのにね。

 

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