毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

感謝しない。思いやりの心がない。間違えても素直に謝らない。逆ギレする。

父の、人としてどこが尊敬出来なかったのかを考えています。

 

こんにちは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

昨日の話で行くと、父は「学歴至上主義」で「高学歴こそ正義」だった為、その意識はわたしにも多分に刷り込まれていました。

 

しかし大人になるまでの間で、学歴に恋をしても仕方がない事を知ったり、わたしを含め高学歴プアに陥る人々の存在を知ったりして、「学歴が全てではない」「父の教えは愚かなものであった」と目が覚めました。

 

もはやアイデンティティの一部かと疑うほどに学歴に過剰反応してきた事を恥じ入りました。

 

さて。そこで、学歴・肩書・学術的知識・試験突破を判断基準とした世俗的な「頭の良さ」を一切排除して考察してみると、父が人間として余計にクズに思えて来たのです。

中でも「ここが問題だ」と感じたポイントは「他者への敬意を微塵も持ち合わせていない」という点なのですが、具体的には

 

感謝しない。

思いやりの心がない。

間違えても素直に謝らない。

逆ギレする。

 

こういった所です。

 

社会生活を送る上で欠かせない他者との関わり。コミュニケーション。それらの大切さをわかっていない。必要性を感じていない。

 

「俺は大学教授だから、先生すごい!と敬われて然るべき特別な存在」と、勘違いしている事が問題の根本にあるのですが、そんな独善的な思い上がりは父本人以外の方々には全く関係のない事。ある意味本人はそれで幸せだから良いのですが、そんな恥ずかしい人間を家族に持つ我々は大変です。本当に本当に、父を家から出したくない。人と関わらせたくない。ご迷惑をおかけしては申し訳ない。そんな心持ちでおります。

 

祖父母やお友達は、父に誰も教えてくれなかったのです。あるいは、自分に都合の悪い言葉は耳に入らない人なのです。

 

仕方ない。

残念だけれど仕方ない。

 

受け入れる事。

諦める事。

そして、わたしはそうならない事。

反面教師とし、感謝するしかありません。

 

 

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