今日一つ、問題が解決しました。
こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
父に似た、空気の読めないおデブさんに最近イラ立っていた話しを書いておりました。しかし今日おデブさんを見ても、何とも思わなかった。1つには「この人はこういう人なのだ」と慣れてきた面があります。
そしてもう一つは、何よりも、わたし自身の問題です。
わたしは、スケジューリングが苦手です。フリーランスなので、スケジューリングが命なのですが、苦手です。このところ、いくつかの案件が同時進行していて、スケジュールが不透明なものが重なっていた。それらが今日、有難い事に、うまい具合にかぶらずに確定したんです。
それだけで心が落ち着いて、おデブさんな彼の事など、どうでも良くなった。
すると、「あぁ、こういう事か」と、何となく、「ストン」と心に落ちたものがありました。
心のストレスが減ったとたん、わたしは昨日まで嫌いだった人の事を、何とも思わなくなったのです。そのメカニズムは、我が家の親子関係にも共通するものだったのでは?と今、考えています。
父と不仲で怒鳴り殴られしていた時代は、将来の見通しが全く立っていなかった。
こんなに父に厳しくされて。気狂いの様に監視されて罵倒されて殴られて。
自分の学歴や職歴が今後どうなっていくのか、それ次第で父はさらに鬼になるのかと、見通しが立たない事が恐ろしく、常に不安だった。毎日ストレスしかなかった。
そしてそれは父も同じだったのでしょう。
コイツはどこの大学に行くんだ。どんな職に就くんだ。誰と結婚するんだ。失敗されるわけにはいかない!!!(失敗させる、より、父の深層心理は「される」だったと思います。)
自分に余裕がないと、人は他人に寛容になれない。
わたしは自分の将来が不安で、父に寛容になれず。父はわたしの将来が不安で、余裕を持って見守る事がとてもできない。散々殴られたのは父の不安の表れで「俺を安心させろ!その為に俺のいう事を聞け!」という気持ちが捻じ曲がり、様々な暴力と化していたのでしょう。
物理的にも精神的にも、余裕がないというのは、恐ろしい。
余裕を持つ技や、余裕がない時期を上手くやり過ごす技、苦手な事に心乱されない技を身に付けたいものです。
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