毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

あらいぴろよさんへの共感その2

昨日シェアした記事からもう一つだけ。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200501-00000053-sasahi-life&p=1

 

《どんな背景があるにせよ、私は良い人間ではなかったので。恋愛依存もそうですが、職場の同僚から相談されても「私のほうがつらいんだよ」と思ってしまい「なんだそんなこと?」と上から目線で突き放してしまったり。そういった行動が虐待による影響なのか、本来の自分なのかという線引きはとても難しかったです。》

 

あぁあ、わたしもこれ、した事された事、両方あるぅうう。

 

わたしも昔思いっきり恋愛依存症でした。

ナンパでも何でも、わたしなんかに声をかけてもられえたらそれだけでうれしいし、好きって言われたらとりあえず誰とでも付き合ってみていました。でも、そんなに好きじゃないからほったらかしにしていて、すると男の人がグイグイきて、そうすると「気持ち悪い」ってすぐ切って。一方で自分から好きになった人にはそれはそれは粘着質でしたし、重たかったと思います。

 

当時わたしは家庭で得られなかった平穏を外に求めていました。

 

平穏。そう。平穏が欲しかった。

だからわたしから見て「平穏そう」な女の子たちがちょっとした事で落ち込んでいるのを見たり愚痴を聞かされたりすると、まさにあらいさんと同じで

「え?そんな程度のことでツライって言えるんだ?どんだけ温室育ち?」と、ひどいぶった切り方をしたものです。

 

"わたしも誰かに甘えたい愚痴りたい慰めてもらいたい。この程度で辛いとかいうヤツは信じられない!わたしの方がツライのに!"

…みたいな。

あるいは素直にわたしなんぞに弱音を吐いてくる人々の純粋さが羨ましかったのかもしれません。嫉妬からの、ぶった切り。

 

ぶった切りは、しただけじゃなくされた事もあります。1番覚えているその相手は、社会人1年生くらいの頃に好きだった人でした。

彼は、お父さんが女癖が悪く酒癖も悪くお金回りも不安定で子ども時代がとても辛かったそうです。

「実家がツラかったもの同士わかり合えるかもしれない」と思ったわたしも愚かなのですが、少し彼に自己開示したくなったんです。しかし「実はウチ、パパがちょっと変わってて、実家が色々あって…」と、そこまで話したところで、彼からとてもとても冷たい目で見られました。

 

「そんなん、誰だって色々あるやろ?」

「自分だけがツライとでも思っとるん?」

 

バッサリと切られました。

 

目の前が暗くなって、指先が冷たくなりました。すぐ隣にいるはず彼の輪郭が遠のき、ぼやけました。

 

あぁ、同じだと、思いました。

わたしの話しを全く聞かないパパと同じ。

人のことをすぐにバッサリと切るわたしと同じ。

 

この人はわたしに寄り添わない。

心を開かない。

 

この人も虐待を受けていて、成長過程で心が歪んでしまったのか、そもそも生まれながらにこういう考えの人なのか?いや、それをいうならわたしだって。わたしはいつから捻くれていて冷血なのか?冷血?パパがわたしに冷血人間って良く言うけど、あれはやっぱり本当なの?わたし冷血?パパが冷血?この人が冷血?

 

あぁ、ツライ話しなんて置いておいて、今だけ楽しくなれる様に振る舞うことがモテるコツなんだきっと…パパの愚痴なんてやっぱり誰にも話しちゃいけないんだ…

 

ぐるぐるぐるぐる考えて

 

「ごめんね、そうだよね!」と、取り繕った様な言葉と表情で仕切り直して、薄っぺらい会話を綱渡りの様な気分で何とか繋ぎ、その場をやり過ごしました。

 

その後も、彼といる時はずっと辛かったし、寂しかった。今思えば似たもの同士だったのですが、さびしんぼう同士が一緒に居ても何の生産性も成長もありませんでした。

 

傷つけ合う事なく安心して一緒にいられる人を欲していたのに、恋愛依存症だったのに、心を開き合う関係からは逃げ、そうせずに済む、軽い付き合いだけで済む、簡単に別れられる相手を選んでいた。2人とも。お互いに。

 

未熟でした。

ごめんね。ごめんない。

もう2度と関わりたくないね。お互いに。

他人で良かった。

 

 

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