毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

子どもが言う「パパきらい」には別の意味がある。

幼稚園の頃、父に「パパきらい」と言ってキレられた事があります。今にして思えば、我が父の心の幼さに愕然とします。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

わたしがその昔、父に「パパきらい」と言ったのは、ウソをつかれたからです。子どもだと思って甘く見られ、テキトーにあしらわれ、何の尊厳も認められていない事にガッカリした。それを「きらい」としか表現する術を5歳児のわたしは知らなかった。「きらい」と発言したのは、子どもなりに理由があったのです。しかし父は「パパきらい」という言葉面だけに反応し

 

「ガキのくせにお前は誰のお陰で生きてると思ってるんだ!俺をキライだと言うのなら出て行け!お前とは一生口を聞いてやらんからな!お前が悪いんだぞ!いいのか、一生俺に口を聞いてもらえなくても!いいか?この先ずっとだぞ!?大人になるまで何年かかると思ってるんだ?恐ろしいだろう?だったら俺の言う事だけを素直にハイって聞いていれば良いんだ!わかったか!キライとか言うな!口ごたえするな!」

 

そんな事をわめき散らしました。

 

当時はそれで余計に「パパひどい」と思ったものですが、しかし、わたし自身が40歳になった今、思います。

 

同世代の人間が、5歳の娘にそんなキレ方をしていたら、その人の人格を疑います。子どもだな、と、呆れます。

 

ウチの父、子どもでした。

父の方こそガキでした。

我が父ながらなんて幼稚な精神構造なのだろうと、ため息が漏れます。

 

子どもに「キライ」と言われたならば、その言葉の裏の子どもの心を汲み取れる様な人こそ、大人なのではないか。そう思うのです。

 

子どもを子どもと思って軽んじたり甘く見たりするのは失礼な事なのだと、父の事を振り返り、思うのです。

 

まぁ、そうは言ってもわたし、子ども、あんまり好きじゃないんですけどね。

 

 

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