父はわたしを「何でも1人で出来る、自立していてカッコ良く、頭のいい女」に育てたかったらしいです。
こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
人を頼るな、借りを作るな。
借りを作ると恩を売られる。
つまりは、たかられる。
だから
何でも1人で出来る様になれ。
友達なんて信用するな。
どうせ友達なんて一時的なんだ。
誰もいなくなるんだ。
今友達ヅラしている連中も腹の中でバカにしてるんだお前を。利用できるか値踏みしてるんだ。
誰も頼るな。信じるな。
信じるられるのは自分だけなんだぞ。
自立するんだ。
自分1人で生きていける様になるんだ。
表向きは自立を促す名目を保ちつつ、人間不信に陥らせんとする様な言葉を日夜浴びせてきました。しかし「自立」と声高に叫ぶその一方で、わたしという存在自体を否定する様な暴言も吐いて来ました。
「誰も頼るな。信じられるのは自分だけなんだ」そう洗脳してくる同じ口が
「お前はゴミ以下だ。何の為に生きているんだ?」と、自分を信じる力も自己肯定感もバキバキに折り砕く様な言葉を同時にかけてくる。「ブスデブブタ死ね」と、自己嫌悪・自己憐憫に陥る言葉をさらに吐きつけてくる。
わたしにどうしろと?
「自立しろ」と言いながら「お前なんて人間のクズで生きている価値がない」。つまりは自立に値する生命体ではないと娘に暴言を吐く。父は一体何がしたかったのか。
とにかく、人と関わらずに、家にいて、自分だけの為に側にいて欲しかったのでしょうか。子ども可愛さに?
そういえば父は「可愛い子には旅をさせろ」という言葉が大嫌いな人でした。
「目を離せばどうなるかわからない。子どもは何もわかってなくてバカなんだから、子どもだけで旅なんてさせるもんじゃない。親が見張っておくべきだ。
その旅費は親が出すんだろう?勿体ない。
親も行った事がない所にどうして子どもを行かせるんだ。生意気な。それに危ない。」
そういう思考回路です。
人は、人と助け合って力を合わせて生きて行く方が楽しいのに。そうしないと、社会で生きていけないのに。ずっと家にいて、旅も社会経験もしなければ、それこそ何のために生きているのかわからない。
社会学者のくせに、机上の空論だけで人との関わり・社会との関わりを持たない父は、子どもを社会に役立つ人材に育てられなかった。子育て失敗もいいところです。
「何でも1人で出来る様になれ」と言われ続けたわたしは
「何1つ1人では出来ない人間」に育ちました。
その後父と離れ、父の言葉や父の理想から離れられた時に、ようやく自立に近づいた気がします。
自立を促していた親こそが、子どもの自立を妨げていたなんて、皮肉なもんです。本人に自覚がないんですから。