毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

人生で初めて殴られたのは

虐待毒親と父の事を罵り続けていますが、最初に殴られた記憶を辿ってみたいと思います。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の父親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

初めて理不尽に殴られた時のことは、はっきりと覚えています。たしか、小学2年生の頃でした。まだ携帯電話がなかった時代です。

 

夏の午前中。わたしは、父と2人でよく市民プールに通っていました。プールの後にスイカアイスバーを買ってもらうのが好きだった。

その日もスイカバーを楽しみに泳いでいたけれど、プールで小学校の同級生に会った。その子はお母さんと2人で来ていた。優しくて素朴で穏やかなお母さんと、大人しい女の子の親子。今となっては名前も顔も覚えていないけれど、良い人たちだった。

 

プールの後、当然ながら更衣室は父だけが別です。わたしと同級生とそのお母さんは女子更衣室。おそらく同級生のお母さんがプールを上がる時に父に「わたしがみておきますから」的な事を言ってくれていたんですね。

「また後で」と言いながら4人同時にプールから出たけれど、しかし着替えて表に出たら、父はいなかった。

少し待ってみたけど見当たらない。

そもそも男性の方がプールの後の身支度は早いですから「きっとお父さん、先に帰っちゃったんだね」となりました。

 

じゃあ、1人で帰ろうか…と思っていると、友達母娘にお昼ゴハンに誘われました。

市民プールの安価な食堂に寄って帰るというのです。お金を持っていませんでしたし遠慮して断ってみたのですが「良いじゃない、行きましょう」と言ってくださいました。

 

その時のご飯の味は、よく覚えていません。

人生で初めて、ひと様にご馳走して頂いたお昼ゴハンでした。なんか、くすぐったい様な、悪い事をしている様な、いつもと違う食事が楽しい様な、不思議な感覚でした。

 

その後、同級生母娘とどこで解散したかは覚えていないのですが、家の玄関は、わたし1人でくぐりました。

 

すると、「ただいまー」と家に入った瞬間に、殴られたのです。

 

「今までどこにいたんだ!」

○○ちゃんとお母さんと、プールの食堂でゴハン食べた

 

「奢らせたのか」

お金持ってないから行けませんって言ったけど、出してくれた

 

「何で断ってすぐに帰ってこなかった」

せっかく誘ってくれたし

 

「外で食べてみたかったのか。普段仲良くもないヤツと食うメシは美味かったか。食い意地がはって意地汚い!そういう時は何で家に電話しないんだ!」

お父さんが本当に家に帰っちゃってたかわからなかったし、電話をかけるにもお金を借りなきゃかけられないし

 

「口ごたえするな!とにかく、今後、誰に誘われてもついて行くな!奢らせるな!弱味を握らせるな!恩を売られたら、いつかそれをネタに揺すられるかもしれんのだぞ!」

「安くてまずいメシでも、お前が調子に乗って食ってしまったから、俺が頭を下げて礼を言ってメシ代を返しに行かにゃならんだろうが!いらん手間なんだ!」

 

後は、食べ物に釣られてホイホイついて行く様なアホは人攫いにさらわれるとか、お前なんてアジアに売り飛ばされるんだとか…何かいろいろわめかれました。

 

 

今にして思えば、父も父なりにわたしを心配していたのです。しかし、自分が発達障害という自覚がないから、自分のおかしなところに気付いていない。

 

そもそも父がプールの更衣室から先に出てその後、わたしを待てなかった。発達障害だから待つのが大嫌い。そして、予定になかった「娘の同級生母娘登場」というイレギュラーに対応出来なかった。

 

さらに、先に自分だけ帰ってきたけれど、やはり待つのが大嫌いな父は、家で娘の帰りを待っている間に、常人の数倍イライラした。多分、発達障害だから。

 

人生で初めて理不尽に殴られた時の記憶ですが、こうして改めて振り返ってみると、父の発達障害が引き起こしたミスコミュニケーションとしても、最初の記憶かもしれません。

 

それともう一つ言えるのは、まぁ、なんだかんだで心配されて、愛されていたのですよね。

 

 

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