わたしにはまだ子どもがいないので実のところは分かっていないのですが、子どもを持っている友人知人たちは皆こう言います。「自分の思った通りには何1つ進まないのが子育てだ」と。
こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
「子どもなんて思いどおりにならない」
この件に関して「そんなもんだ」と割り切れる方は、そこから柔軟さを学び、子育てを通して人としての器がひと回り二回りと大きくなって行くのでしょう。
しかし父は思い返せば我々3人姉弟が子供の頃から「何で俺の言った通りにしないんだ」と怒鳴りつけ殴りつけ、それが大人になっても続き、今でも「俺の言った通りにしていれば今頃○○だったのに」とタラレバばかり。
「子どもが思いどおりにならない!!!!!」
育ててやってるのに!
金出してやってるのに!
何で言うこと聞かないんだ!!!!
とにかく自分の「所有物」たる子どもが思いどおりにならない事に対してイライラを日々募らせている様でした。「臨機応変」や「軌道修正」「柔軟な対応」がまるでできない人だった。発達障害だから難しかったんでしょうね。
何よりも我々が1番迷惑だったのは、父が、子どもがやりたい事を見つけた時に、その夢を諦めるまで怒鳴りつけて殴りつけた事でしょうか。
何度でも何度でも。自分の思い通りに従える為に。所有物たる我が子が自分の意思を持ち、監視下から離れていく事が許せなかった。父にとっては子どもはペットか家畜か人形だったのでしょうか?自分の意見は押し付けても子どもの意思は踏みにじり、子どもの考えには耳を傾けようともしなかった。
親に夢を潰された子どもは、納得出来ずに親を恨む人もいるんじゃないでしょうか。わたしは父を殺したいほどに恨み憎んでいました。その漏れ出ていた殺気も父のシャクに触った様で、あちらもあちらでわたしを「殺すぞ」「死ね」と毎日なじってきました。
お互いに不幸でしたね。
「他人は思いどおりに動かせるものではない。それぞれが意思を持った個人である」
その事に気づけなかった。父もわたしも。
「子どもは親の言う事を聞くべき」
「親なら子どもの気持を少しは考慮すべき」
お互いそんなケンカ腰で、一つ屋根の下で憎み合い争いながら生きてきました。
辛かったです。少なくともわたしは。
父が実際のところどう思っていたのかは知りませんが、見栄っ張りな父は「子どもたちは俺の言う事を聞いて優秀に育った」「自分の思い通りになった」と、外の世界では得意気に語っているようです。
そんな自慢話しに「すごいですね!」などと薄っぺらい相の手を頂き、表面的なヨイショを喜んでいたのならば、心底虚しい。童話の「裸の王様」以下です。実際は、家庭は当時崩壊寸前、死人が出る寸前だったのですから。
それすらも発達障害である父は気づかなかったわけですが、それはそれで本人は幸せなのかもしれません。