毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

高校演劇

わたしは23年前、高校の卒業アルバムを卒業式の日に学校の焼却炉に突っ込み捨て帰りました。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

毒親育ちで性格が歪んでいたわたしですが、恨んでいたのは親だけではなく、そういえば出身校も恨んでいたのでした。

 

わたしは、中学時代は放送委員、高校時代は演劇部でした。アニメオタクで、将来の夢は声優だった。ドラゴンボールクリリン役やONE PIECEのルフィ役でお馴染みの田中真弓さんが「声優になりたい人は、声の芝居だけを目指すよりまずは、俳優を目指した方が良い」と当時言われていて、それでわたしは高校に入る時に演劇部を選んだのでした。

 

私が住んでいたエリアの演劇部は、夏に県内の演劇部員が集まる合宿があったり、秋以降いくつかの学校で集まって芝居を作る慣習がありました。わたしは女子校だったから、共学や男子校、別の学校と男女合同で芝居を作るチャンスというのはとても楽しみだった。仮にそれを「合同舞台」と呼びましょう。

 

夏の合宿も合同舞台も、長年続いていたものでしたが、ある時からわたしの出身校は参加をやめている。ウチの学校の演劇部の顧問が変わった時からです。何故かその新任は、学校に不必要な報告をし、問題化させた。「我が校の演劇部が、他校の生徒と合同で芝居を作ると言っている。何か問題が起こってからでは遅い」

 

意味不明なのですが、不純異性交遊?でも心配したのでしょうか?時代錯誤も甚だしいのですが、例年何の問題もなく参加できていた他校との演劇交流が、古風で頑固な新任の手により急に断絶されたのです。

 

配役も決まり、稽古にも入っていたのに

「何か問題が起きてマスコミにでも囲まれたら我が校の名に傷がつくので、合同舞台への我が校の参加は取り止めとする」と、一方的に大人に決められた。

他校の演劇関係者だってびっくりですよ。

あんたら急に何様よ?ってかんじですよね?

 

まぁ、どんなに子どもが反論しても古風な考えの学校上層部が一度下した決断を覆すはずもなく。合同舞台への参加は叶いませんでした。

 

そして高校2年生以降は、今度は親の圧力によりわたしは学内の舞台にも立てなくなった。

 

親の言い分は「受験の為」

でもそんなの、みんな、条件は一緒なのに…

今度はわたしが何様よ?状態です。

 

演劇を学校からも親からも取り上げられた時から、その後10年間わたしは摂食障害に苦しみ、受験にも人生にも失敗して、安定剤の大量服用やリストカットで死ぬ事にも失敗し、死に損ないと罵られながら半死人として日陰を歩むことになったのでした。

 

こうなったのは自分の弱さです。

親や学校を憎む事に注力し、自らの人生を明るく前向きに生きる努力を怠った。

 

 

しかし、今でも思いますよ。

当時の後任の演劇部顧問も学校上層部も、ウチの親も、お利口さんが過ぎる大変つまらない方々だったと。

 

早々に構う事をやめておけば良かった。

 

 

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