かつてのわたしは、心根はヤンキーと変わらなかったと思います。
こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。
散々、父親が暴力的だったとか言動が異常だったとか、とにかく厳しかっただとか書き綴って来ました。そうやって育てられたわたしは、所謂いい子だったわけじゃない。とてもひねくれていました。ちなみに妹はどこへ行っても不思議ちゃん扱いされる様に育ち、弟は会社でコミュ障扱いされています。
3人の中で、わたしが1番父から怒鳴られて殴られていましたが、それは、1番父に従順でなかったから。妹弟は、長女であるわたしを見て学び、受け流す術をある程度身につけていたのでしょう。言う事を聞くフリも上手かった。
わたしから見たら父は異常だったので「パパはおかしい」と言っていただけなのですが、父から見たらわたしは「親の言う事を聞かないヤツは犬と同じで折檻が必要」という認識だった。そしてその折檻に対して黙っていられるわけがないわたしは、言われたら言い返しましたし、殴られれば「痛い」とか「やめて」とか叫びますから、今度は父から「黙れ」「自分が悪いくせに」と怒鳴られる。そうやってエンドレスに毎日怒鳴り合って叫び合っていました。
お互いファイティングポーズを崩さなかったわけですね。
そんな感じで、家の中は常に戦場でしたので、わたしは常時身構えていて反抗的でした。
時には気分が落ちてカタカタ震えてシクシク泣いてみたり突然叫び出したりもしていましたが、基本的には父に怯えつつもいつでもガン飛ばし状態。「パパ怖い。もう死にたいです…」的な消え入りたい気持ちよりも「てめぇクソ親父殺してやる!」という気持ちの方が優っている事が多かった。
「てめぇクソ親父、殺してやる」
これは、おそらくヤンキー的な思考ですよね。父が怖い。そして恐怖の対象たる父を常に威嚇している。
ヤンキーの「テメェ何見たんだよ。あ〜?」に近い感じではないでしょうか。デフォルトの姿勢が、ケンカ売ってるかんじ。
それでかなぁ。わたしは見た目をヤンキー的に染め上げる事は出来なかったけど、ヤンキーと呼ばれる人々に妙なシンパシーを感じていました。
わたしは父から常に「生意気なツラしやがって」「歯向かうな貴様!」と言われ続けてきました。
つっぱって、反抗して、言う事聞かない。
そう思われていた。
それって、学校や警察や社会からの押さえつけに反抗しているヤンキーと、身分・構図は何ら変わらなかったのではないか。
反抗。
それは、純粋な自由とは違う。
何か枠があって、それと戦っている。
ヤンキーと呼ばれている人々は、家や学校や社会からはみ出てしまって、そのはみ出た自分を自ら怒ったりすねたり嘆いたりしていて、その表現が、表情や行動や外見のベクトルが、世が何となく認識する「ヤンキー」に向かっている。人間は人間を見た目で判断するから、わかりやすくヤンキー的なルックスの人がヤンキーとレッテルを貼られる。
わたしは父にダサい衣服を強要されて外見をヤンキー的に整える事が出来なかったから、ヤンキーと他人様には思われなかっただけで、中身の属性はヤンキーでした。
ガチのヤンキーにはなりきれなかった分際で大きな口を叩きたくはないのですが、なんとなくわかるんです。
ヤンキーの、ヤンキーなりの、悲しみとかせつなさとかやりきれなさとか。
親はわたしをヤンキーにしたくなくて厳しくしていたのに。皮肉なもんですね。