毒親育ち35年、その後の人生。

親から過剰に束縛される事により歪んでいった、過去の己の闇を見つめ直すべく綴っています。

山田ジャマだ

ウチの弟はコミュ障です。

 

こんばんは。社会学者で発達障害の虐待毒親に最近まで振り回されていた、アラフォー主婦のユイカです。

 

ウチの父は他人の気持ちがわからない人で、冗談のセンスもないのですが非常に口が悪く、「社会学者は社会を批判するのが仕事なんだ」と、世の中やご近所さんの悪口ばかり言っていました。そんな父と暮らしていると、ウチの弟は、喋る事や人とのコミュニケーションがド下手なまま、大人になってしまった。

 

最近、気になっている女性に、我が地元・博多のお土産を渡した弟。その女性からその日の夜

「美味しかった♡ありがとう!」とLINEをもらうとそれに

「そんなに美味しいなら全部あげなきゃ良かった(笑)」と返信したら、嫌われたそうです。

 

…深刻や。もう36歳になるのに…。。。

姉としては深刻です。

意中の女性に、何なんだそのLINEは。

 

その話しを今日父にすると

「そりゃフラれるなぁ」と言っていました。

 

え!?お父さん!

わかってるの!?

お父さん…弟のLINE、まんま、あなたが若い頃、我々によく言っていた内容ですよ…

 

例えば子どもに食べ物やお菓子を与え、子どもである我々が「美味しい!」と言うと

「そんなに美味いものは本来エライ俺が食べるべきであって、お前ら味のわからんガキどもには勿体ない。それなのにくれてやってる俺様に感謝しろ」

そんな言葉がふってくるので、私たちは素直に「美味しい」とも言いづらかった。

 

父的にはそれらの言動は冗談だったと言う。

そんな父の言葉を我々は嫌っていたはずなのに、大人になってからもその影響を引きずり、果てには弟は、意中の女性に父同然の言葉のパスを出し、撃沈…

 

なんてこった。。。

 

わたしが頭をかかえていると、母が口を開きます。

 

弟が小学生の頃、クラスメイトに山田くんと言う素直な男の子がいた。

父は冗談で「山田ジャマだ♪」と家の中で山田くんの事をバカにしていた。

弟がうっかりお外で、本人にそれを言ってしまった。

以降山田さん家との関係がギクシャクしてしまった。

父の言葉に、弟は多大な影響を受けていた。

昔から。

 

母は悲しみと怒りが20%ほど含まれた、一見普段と変わらない表情でその事を父に訴えていましたが…

 

今日も、父には、何も響いてはいませんでした。

 

 

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